(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

正しいメディアリテラシー論

「あるある」の話題につけ、「2ちゃん」の話につけ、何かとメディアリテラシー論がかしましい昨今なので、タケルンバも一席ぶってみますか。これでもディベーターのはしくれ。一家言あるのだ。
あのね、メディアリテラシーって言っても、実は単純な話なんですよ。突き詰めるとこれ。

一次情報以外は信用するな!

結局ね、自分で直接見たり聞いたりしてない情報は、全部間違っている可能性アリってことね。隣の奥さんが言ってたことも、「とくダネ!」で小倉さんが話していることも、なんちゃら大学の教授が説明していることも、NHKのニュースですらも、全て間違ってるかもってのが大前提。「合っているかわからん」が正しい。
結局、二次情報というのは伝える側の見解が含まれるわけですよ。「コロンブスが新大陸を発見」って言うけど、その新大陸とやらにいた人間に言わせれば「コロンブスってオッサンが遠くから来たで」ということになる。「背の高いおじちゃんに殴られた。えーん」って子供の話も、近くにいた大人に言わせれば「小柄のあんちゃんが、そこの小僧を小突いたで」となる。ともに事実はひとつだけど、立場によって話は違うのですよ。二次情報というのはすべからずこういうもの。事実が歪んで伝えられることがある。「バイアスがかかる」とか言いますな。偏りってことね。
なので、二次情報に接するときのコツは「事実を抽出」するってこと。事実以外の情報を排除することね。コロンブスの例でいくと、「新大陸」ってのは事実じゃないわけですよ。コロンブスの立場では「新大陸」だけど、その大陸自体は大昔からあったわけで、事実じゃない。子供の例だと「背の高い」「おじちゃん」は事実じゃない。子供からすれば、大人は誰だって背は高いし、男はおじちゃん。もちろん「小柄」「あんちゃん」もダメ。あくまでそれを話した人の価値基準で語られているから。チェ・ホンマンとかボブ・サップにすれば、大体の人は小柄になりますわな。また、猫ひろしとか池乃めだかが小柄って言うからには相当小柄なわけで。このように幅がある話は不正確なわけですよ。
つまり、本当のメディアリテラシーっていうのは、二次情報からあらゆる立場や価値基準を省き、事実を取り出す作業であり、その能力。ここに尽きるわけです。あらゆることを疑ってかからんと何も始まらん。世知辛い話だけど、そういうこと。肩書き・権威も信用しちゃダメ。この世の中で正しいのは、あなた自身が直接見たこと聞いたこと、そして思ったことのみ。そしてあなたが思ったことは、あなたの中でのみ正しい。あなた以外がそう考えるとは限らない。つまるところそういうこと。最終的にはデカルトなのよ。「我思う、故に我在り」。我以外は全て疑え! そして自分で正しいことを見つけるほかないのですよ。