(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

WWEを見ればヤオ・ガチ論争がバカらしくなる

週刊現代」の記事から突如として火がつきましたな。八百長騒動。

デーモン小暮閣下ほどではないにしろ、好角家のひとりとして言わせると「またか」としか言いようがない騒動。「歴史は繰り返す」ってヤツですよ。

八百長を認めるはずがない

そもそもの大前提。八百長の事実があろうとなかろうと、日本相撲協会が認めるはずがない。これ、全ての大前提。これは今回だろうが過去の事例だろうが、そして未来に起こりうることであろうが、未来永劫全ての八百長は認めない。何故かと言えば、一度認めてしまえば、相撲の歴史が全て嘘になるから。あろうがなかろうが、八百長があったと認めるわけにはいかん。シュークリームがダメなら、ショートケーキもエクレアも全てダメという不二家状態になるわけにはいかんのです。
基本的に八百長の事実は、八百長をやった本人しかわからんですよ。周りから如何に不可思議に見える取り組みであろうとも、本人が八百長でないと言えば八百長ではないのですよ。本人以外が八百長であることを証明する方法は皆無。「ガチンコでござい」と言われればそれまで。

八百長の有無と面白いかどうかは関係ない

で、もっと重要なのは、八百長の有無と面白みの有無は、関連性が全くない。八百長であろうと面白い相撲はあるし、ガチンコであろうとつまらん相撲になることはある。勝負論と観客論は全く別の論点なのね。
これはプロレスでもよく言われることだけど、「八百長=つまらない」「ガチンコ=面白い」というのは、ちょっと極端な話。ここは分けて考えないとダメ。少なくても今まで楽しく見てたんなら、何も問題ないわけで。人に「八百長だよ」と言われたからって面白くなくなるってのはつまらん話。「でも、面白いじゃん」という反論もあっていいと思うんだよね。みうらじゅん的に「そこがいいんじゃない」と切り返すとか。そういう余裕のある見方をしてもいいんではと思う次第。
ガチンコは面白いって単なる幻想だよ。かえって「はたきこみ」みたいな変化技が増えて、投げの打ち合いが減っちゃうよ。ヤオ・ガチ論争からは早く卒業しましょうよ。面白いものは面白いでいいじゃん。

「走って勢いをつけ、何故か止まってからエルボー」という「娯楽スポーツ界の至宝」と呼ばれる技。
ガチンコ論としては実に不可解な技なんだけども、プロレス的には面白いので良し。