(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

格差の何が悪いのかね

あちこちで「格差」って言葉見ますけど、腑に落ちないのは、ほとんどが「格差があることは悪い状況」を前提に使われていることなんですよね。

  1. 格差があるのは悪いことだ
  2. 現在、日本に格差がある
  3. 故に、現在の日本は悪い

こういう三段論法ね。こういう論理が多いんだけど、本当に格差があることは悪いことなんですかね。そもそもの前提に疑問があるんですよ、はい。

良い状況とは格差がないこと?

ここで毎度おなじみ、対偶について考えてみましょうね。対偶については2月6日付記事を参照ください。ある主張とその対偶は同値です。主張が正しいなら、その対偶も正しい。「格差があることは悪い状況」の対偶はこれ。

  • 「良い状況とは格差がないこと」

こういうことですな。「格差があるのは最悪だぜ!」と言ってるヤツは「最高だぜ!格差がないのって」と言ってるのと同じなわけですな。要するに平等なのが好ましいと。そう考えとるわけです。
ところがオレはこの点に疑問があるのね。ハッキリ言って「平等なんてクソ食らえ!」ですよ。むしろ「不平等万歳!」ってくらい思ってます。だってそうでしょ。オレとイチローが野球やりゃ、イチローが上になるの当たり前じゃないですか。
だって、オレが「宇宙刑事ギャバン」見てた頃、彼は毎日のようにバッティング・センターでせっせと練習していたわけだし、チチロー(最近言わんな)はそのお金を工面してきた。また、オレが海に行って水着姿の女性にウヒョってなっているとき、イチローは練習練習また練習であり、汗臭い男の体臭にウップとなってたわけですな。この2人の扱いが同じなら、イチローは「オレもキン肉マン見てりゃ良かったよ」ってなるだろうし、チチローは「バッティング・センター代、損したな」ってことになる。平等って努力をチャラにするんですよ。努力してもしなくても差がつかないから。

ダメのランク付け=格差?

で、結局のところ平等って下のヤツを引き上げるんですな。ダメなヤツを優秀なヤツと同じラインにしてしまう。オレはこれが嫌いなわけです。オレはダメなヤツですけど、もっとダメなヤツと同じ扱いをされたくないのです。ダメなヤツはダメなヤツなりにランク付けがあるので、放っておいて欲しいのですよ。で、このランク付けを格差と言うのであれば、格差OK。それもやむなし。そういう考え方。
ただ資本主義ってそういうもんじゃないの? それぞれご勝手に。ただ、頑張ったヤツと頑張らないヤツでは、当然結果は違ってくるよってシステム。そこに国は関与しませんぜって話なわけで、格差を否定すると20世紀経由ソ連行きの電車に乗ることになるのでは。「バブルへGO!」のダメバージョン。
もちろん格差があり過ぎて、一度格差が開いたら最後、這い上がる方法がないってのはまずい。こういう行き過ぎを批判するのはわかる。けれど、こういう程度の話を全然見ないのは不思議なんだよね。「日本の格差は広がりすぎだから問題です」って話を見ない。ということは、どなたも「平等主義万歳!」と言ってるだけな気がする。しかも自分を引き上げる平等。金持ちからお金を奪って、それをよこせ。そうなりゃみんな平等だという。下から目線の話ばっか。そうじゃなくて、上から目線の平等話が出てこないとおかしい。格差を批判する中に、自分が持ってるものを手放して平等を訴える人間がいないってところに、何だか質の悪いたかり体質を感じますな。本当の平等主義は「平等のためなら、自分は何かを失っても構わない」って意識がないと。「国がなんとかしろ」幻想をいいかげん捨てましょうや。