(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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年金を手形として考える

isologueさんちの年金話がなかなか興味深い。

で、遅ればせながらオレも参入してみようかと。
基本的にオレの見解は磯崎氏に近いです。そもそも年金は「権利」ではないと。じゃ何かと言えば「手形」と言った方が近い気がしますな。年金は手形ですよ。
権利と言うと、どうしても確定的なものを想定するし、実際に期待するだろうけど、そこまで確定的なものじゃねえと思うんですよね。期待はできても、あてにはならん。なので「権利」という大きな概念ではなく「手形」という小さい概念の方が近い気がするんですよ。特徴も似てるし。
例えば次のところが似てます。

  • 将来的な給付権利がある

手形には満期日がありますな。満期日に手形の額面を受け取ることができる。つまり手形っていうのは権利証書なわけです。年金は65歳が満期日の手形と考えるとわかりやすい。

  • 割引制度がある

満期日まで待ちきれない場合、手形を担保に借り入れることがあります。これを割引と言いますね。年金も同様に早期給付制度があります。早目に受け取れるようになるけど、その分減額されるよという制度。このあたりとても似てます。

  • 譲渡性がある

手形は権利証書なので、割引みたいに担保にすることができれば、人に譲り渡すことも可能です。離婚した場合に年金給付を夫婦で分割という話は正にこの特徴を使った話。渡すことも分けることもできるはずなのよ。

  • 貸し倒れがある

ここが最大のポイント。手形の振出人が飛んだら満期になっても金にならんのよ。いわゆる「不渡り」。あくまで金を払ってくれる人が存在してこその権利。「手形ジャンプ」なんてこともあるしね。「金がねえから、満期を先に延ばしてくれい」という。実際世間では「手形ジャンプを5回繰り返し、その挙句に借金棒引きを要求」みたいな太い話もありますからね。どうなってんねん!
年金で言えば振出人は国なので、さすがに国が飛ぶことはなさそうだけども、給付年齢を60歳から65歳に変えるという手形ジャンプは既にやっとるわけですね。実に自転車操業の会社と同じです。国は。
ただ、手形ジャンプされる会社も、給付年齢を引き上げられる国民も、「困るよ!」と声を荒げつつも、渋々受け入れざるを得ません。何故なら、手形の世界(年金の世界)では振出人が一番偉いから。「え?権利持ってるヤツが偉くないの?」と思ったアナタ。あなたは真っ当ですね。ただ真っ当だから騙されてますね。違うんです。手形の世界では振出人が一番偉いんです。
何故なら、手形を振り出した側には、お金をちゃんと払う義務はないんですよ。払えないなら潰れちゃえばいいんです。それでおしまい。もちろん払うべきだし、腎臓売ってでもby日栄払わないといけないんですけど、そのために計画的に資金繰りを計算しようが、「なるようになれ」で散財しまくろうが振出人の勝手なんですよ。手形を持ってる方が「ちゃんと満期でお金が欲しいから、お金を使ってくれるな」と言っても、振出人は無視していいわけです。そこんところは振出人のサジ加減ひとつで、主導権を完全に持っているわけです。お金貸してる側より、借りてる側の方が偉いのだ。
そういう手形頭で年金を考えると、お金を出してる国民より、お金を受け取る社会保険庁が偉そうなのも合点がいくわけです。だって手形なんだもの。払うも払わないも国の胸先三寸なんだもの。払えなさそうならジャンプであり、それでもダメなら国会でごめんなさいすればいい。社会保険庁を潰して民営化で再出発。しかしこんなことしても実態は変わらないのよね。借金棒引きしてもらったあと、経営責任をとって総退陣という昔のゼネコンと何が違うのかねってところでさ。金貸してる側が借りてる側の言いなりってだけなんですよ。
以上、年金は手形と考えるとわかりやすいのコーナーでした。