(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

髭男爵で腹一杯

昨日お笑いライブを見に行ってきましたよ。

基本的にお笑いに関しては「書斎派」であり、生で見るのは7年前の上野・鈴本演芸場で、昭和のいる・こいるを見て以来。そんなわけで、生涯2度目の生お笑いという「オレなりのセカンド・インパクト」だったわけですよ。
とりあえずオレとしては、昼の部の髭男爵でお腹一杯。「貴族のハイソサエティーな笑いは下々の者には理解できん」と予防線を張っていたわけですが、あいにくオレも貴族だったりするわけで。しかも山田ルイ53世は男爵だから「バロン(Baron)」だけども、オレは「ロード(Lord)」だったりするので、同じ貴族としてハイソサエティーであり高尚な笑いのショートコンツェルンを堪能したわけである。客いじりが生命線だから、生の方がいいコンビですな。「何故笑わぬ!」の流れを大切にしていただきたい。
あと個人的にいいなあと思ったのは「さかなDVD」「カルパチーノ」「ライフライン」あたり。カルパチーノは「笑い飯」との微妙な被りが気になるけど、あのくらいならセーフ。「モナー」と「のまねこ」ほどじゃ全然ないし。喩えが古いし、不適当だよ。
あと思ったことをば。

ぜい肉がありすぎる

ネタの時間って意外と短いわけですよ。長くても5分程度のもの。その中にどうでもいい部分が多くてもったいないケースが目立ちますな。で、見事なまでにぜい肉の量と、笑いの量は反比例する感じ。
「欲張りすぎ」ってのと違うんだよなあ。「とりあえず入れてみました」というやりとり。受けを目指すわけでもなく、かといってその後の布石になるわけでもなく、天丼するわけでもなく。「連戦姉妹」の「ちんちんかもかも」のくだりなんかは惜しいんだけどなあ。「女がそういう言葉を」とか「その表現古いよ」とかの展開はあるし、そもそもリズムとか語呂的にいい言葉なんだけど(でもオゲレツだ)、前後とリンクしてないから浮いちゃうんだよなあ。凄く惜しい。オッサンのエロ表現で転がす手とかもあるんだけどね。

客に合わせようとしなさすぎる

必ずしも客に合わせればいいってもんではないんですけどね。ただ、自分の持ち芸の中から向いているものを選ぶとか、より伝わりやすい言葉を選択するってのは技術のうちかなあと。カップそばでも東西でダシが違うじゃないすか。その程度の工夫はあってもいいし、するべきだと思うんだけどね。
特にそう感じたのは「帽子屋お松」。月亭可朝スタイルで登場して、ネタでもそこに触れたんだけど、東京じゃ月亭可朝はそこまでメジャーじゃないんだよね。ましてや若い人メインとなると。「ボインやでぇー」すら知らない人が多い。そういう状況で月亭可朝スタイルで出てもしょうがないんだよね。元ネタがわからないんですもの。東京でカンカン帽にメガネだと「横峯良郎」になっちゃうもんな。

キャラ設定が甘すぎる

何故こう思ったかと言うと衣装に不満があるんですよ。やりたいことと衣装がリンクしてない。衣装を含めた細部の設定が甘いと感じたわけなんですよ。
例えば「ガリガリガリクソン」。ニートキャラでニートTシャツを着てたわけなんですけど、何故か上にシャツをもう1枚着ているんですよね。ニートTシャツを隠しちゃってる。それだとニートTシャツを着る意味がない。自分でネタ潰ししてるんだよなあ。何でだろ。
あと「王(キング)」。スーツで揃えているんなら、きちんと揃えたほうが見た目にいいと思うんだよね。みんな同じスーツだから謎のマスクが面白いわけだし。「1人だけそのマスクは何故?」と。つまんない衣装で合わせるから、マスク姿がよりおいしくなると思うんだよねえ。
緑のカーディガンもそう。それを着て浮いている必然性がないような。結局1人だけ違う衣装っていうのは「そこ突っ込むよ」というポイントなわけで、それぞれがちょっとずつ違うと全体的に面白くなくなるんだよなあ。あるいはネタで絡めないと。折角「ドラえもん」ネタをしたのなら、藤子不二夫つながりで「パーヤンとしていじる」というやり方もあるような。緑だし、体型もOKだし、何より大阪だし。そういう細部の詰めが惜しい。
基本的にゲラなので、笑いの沸点自体は低く、大体は笑って見ていたわけですが、どうしても細かい粗が気になった次第。「細部に神は宿る」です。