(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

「警察が悪い」と言うのは楽すぎる

時津風親方から、愛知県警にマスコミの攻撃対象は移りつつありますな。検視を怠った件。

 斉藤さんの遺体を解剖した新潟大大学院の出羽厚二准教授(法医学)は「後に親方がビール瓶で殴ったとされる額の傷など、一見してけいこではできないと考えられる傷がいくつもあった。異状死体として検視しなかったのは県警の失策だ」と話している。

ま、基本的にはその通りなんだよね。何故検視しなかったのか。何故司法解剖しなかったのか。話はここに尽きるし、それによって初動捜査が遅れたことは否めないんだけども、実はこの点には難しい問題がある。それは日本人の遺体に対する感情。遺体に対しメスを入れることを嫌う風土があります。
特に赤ちゃんに対する解剖を母親は嫌うね。「かわいそう」「もう痛い思いをさせたくない」とか。で、こういう感情は周りとしては重い。重すぎる。重すぎるばかりに、怪しくても解剖しないケースがままあるわけですよ。真相究明を願い解剖を希望する親がいれば、解剖を断固拒否する親もいる。これは価値観の問題なのでどちらも正しい。親の心情をおもんばかって対応するほかないのです。
で、このケースは親御さんが行政解剖を希望したために露見したわけですが、解剖しなかったために真相が闇の中というのはままある。である以上は、解剖を拒否できない司法解剖を徹底するしか対応策がないのですな。司法解剖は捜査の一環なので、遺族も拒否できない。当局が悪者になってでも司法解剖を強行するしか本質的な解決法はないのですよ。「怪しいときは司法解剖」ということを徹底するくらいしか方法はない。
しかしこうなると遺族感情とか、価値観とか、時に宗教思想とガチンコになる。この力士急死の事件の場合、解剖した意義があったわけですが、解剖した結果が自然死だった場合、遺族は納得できるか。これは非常に難しい問題。オレは司法解剖徹底派ではありますが、目の前で「私の赤ちゃんをこれ以上いじめないで」と母親に泣かれた場合、それでも解剖すべきかと問われたらかなり揺れる。自分の価値観は正しいけども、目の前で泣き続ける母親の価値観も正しいわけで、そういう状況で解剖を強制できるか。ここまで確固たる信念を持てるか。そこまでの自信はねえです。
なわけで、愛知県警を叩くのもどうかという話なんだよね。結果論として不正解だったんだけど、常に不正解になるケースかと言えば、そうとも言えないわけで。「解剖しない=悪」と一概には言えない難しい問題だと思いますよ。短絡的なマスコミの報道に違和感を覚える次第。こういう話はもっと多様な価値観があるはずだし、もっと慎重にすべきだと思いますがね。「警察が悪い」というのは短絡的すぎますなあ。