(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

向き不向きは他人が決めるもの

「転職王」と呼んでも差し支えないほど、ローリングストーンな人生であるため、たまに転職相談をされるタケルンバである。特に後輩にはこの手の悩みを抱えているヤツが多い。みんな悩んでるのね。大変ね。
とはいえ、その悩みには中々の勘違いちゃんが含まれており、味わい深い。

繰り返しの毎日がイヤなんです

そうだね、プロテインだね。
しかしだ、繰り返しじゃない毎日なんてありますかね。ましてや、繰り返さない毎日のしんどさを知らんだろ。先の見えないアリ地獄。こっちの方がよっぽど恐怖ですわね。「まだあるのか」という絶望感を知らないだけだな。
あとあれだ、これにはクリエイター幻想がある。事務的な仕事は、毎日同じようなことの繰り返しであり、非生産的である。それに対しクリエイターは創造的な日々であり、生産的であると。そういう勘違い。
しかしクリエイターってのは事務的に創造する仕事なのよね。創造を繰り返すことができる人。例えば陶芸家なんて繰り返しですわね。土をこねて、形を作って、それを焼いて売ると。その繰り返し。ただ彼らは、その繰り返しの中でオリジナリティを発揮しとるわけですよ。文筆業も画家もコピーライターもそう。結局みんな繰り返し。この点で営業とか経理との差はねえですよ。「できる」と「できない」の差は、繰り返しの中で違いを生み出せるかどうかに過ぎません。
こういう勘違いしとるヤツには「繰り返しじゃない仕事教えろ」というと効果的。だって、ないもの。次いで「繰り返しじゃない仕事をしたいんじゃなくて、繰り返しの中で違いを生み出せない状況に不満があるんじゃないのか?」と聞くと大体正解、ご名答。そういう人は転職しない方がいいです。また同じ勘違いするから。

この仕事向いてないと思うんですよね

そうだね、プロテインだね。
確かに向いてないかもしれんね。でも、誰と比べて? これ、意外と即答できんヤツが多い。
実は、向き不向きは他人が決めることなんですよ。自分が決めることじゃない。自分で決められるのは好き嫌いであって、どうもこれを向き不向きと勘違いしとるのよね。おめーがやりたくねえだけじゃねえの?
結局このあたりは完全に主観。客観性がない場合多し。向き不向きというのは他人との比較であって、客観的な判断が必要なものなんだけども、それを自分の感情で決めてるところに問題がある。メチャメチャ気は進まないし、できればやりたくねえんだけども、周りよりは自分ができるってケースはままありますよ。少年野球なんかそのオンパレードだよね。本当はピッチャーやりたいんだけど、俊敏性は明らかにショート向きとか。逆のケースもあるよね。ガタイがいいから、とりあえずキャッチャーやってみろとか。本当はイチローに憧れているのに。
昨日の「カンブリア宮殿」でも、吉野家の安部社長が同じようなこと言ってましたよ。

 好き嫌いと才能は別、役割を全うすれば次の世界が見えてくる

これは真実。向き不向きを自分で考える暇があったら、客観的な判断力を身につける方がいいし、それができないなら、とりあえず今できることに打ち込む方が生産的。「バカの考え、休むに似たり」と言いますしな。
ただ、我慢し過ぎもまた禁物。体とか精神を病んでまで働くことはねえわね。人は幸せになるために生きているし、働いているわけで、幸せにならんなら働かねえほうがいいです。役割を全うする前に、人生を全うしちゃ何にもならん。その点に関しては安部社長をマネしちゃダメ。あの人はメチャメチャ我慢強い人ですからね。倒産しても逃げずに残った人なわけで。オレみたいな転ぶに任せる人生を送っている人間には到底マネできまへん。
考え方は一緒だけど、内容には天地の差があり。やっぱり松屋の「牛定白大盛り」で育ったからですかね。そういう問題じゃねえよ。