(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

いい人は偽らない?

こういうことってあるのね。伊勢丹にリフォームに出した指輪のダイヤがすりかえられたという話。

クリーニングとかだとよくあるけどね。生地の質が悪い同じサイズのYシャツにすりかわってたって話。しかしこれとは額が違うからねえ。百万単位の話になってるわけで。

 伊勢丹側は「預かった石はもともとジルコニアだった」と主張したが、判決は預かった石が6本つめに留められていたのに、引き渡されたジルコニアの傷は4本つめに留められて付いたと考えられると指摘。

果たして伊勢丹はどんな根拠を元に「ジルコニアでした」と言ったんだろうねえ。業者にリフォームを委託したくらいだから、現場にジルコニアかどうかの判別スキルがあるとは思えんし。仲介というか、右から左への商売しかしてないはずだしねえ。こういう主張はかえって信用なくさんか? まして、つめの数すら合ってないというお粗末っぷり。この時点で勝負あったとしか思えないんですけど。
ただ、このくだりはどうなのか。

 「人柄や生活状況から原告が偽っていたとは考えられない」と述べ、すり替えがあったと認めた。

人柄とか生活状況は嘘の有無に関係ないって。ひどく情緒的な話で、こういうのが判決基準になるってどうなんでしょ。「6本つめのはずなのに、4本つめでした」ってのは非常に理性的で、明確な証拠判断だと思うけど、人柄って何でしょうね。まして生活状況って。こういう基準が通用することに違和感を覚える次第。東京高裁でこのレベル。大丈夫か? >司法制度