(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

結果欲からの解脱

「諦めが早い」と勘違いされるほど、最近はとんと欲に興味がない。いや、もちろん金は欲しいですよ。物欲もあるし性欲も人一倍旺盛。「何かを欲しいと思う心」を欲と考えれば欲まみれの人間なわけですが、わしゃそれを2つに分け、一方を捨て去っているので諦めが早く見えるようなのであります。
どう分けているかというとシンプル。

自分がコントロールできるか

欲しいという願望を実現できるものは欲じゃねえんです。それはただ実現すりゃいい話なので。「5万円欲しい」とかなら5万円分働けばいいわけですわね。時給1000円なら50時間働けと。こういうのはいくら望んでも欲じゃない。単なる願望で、実現するかどうかは自分がコントロールできるから。
で、オレが思う欲とは、実現できるかどうかが未知数で、自分がコントロールできないものだと思うわけです。
「株で勝ちたい」。株が上がるか下がるかなんて、自分以外のプレイヤー次第。自分がどう行動しようが、株価なんてコントロールできない。自分以外の他者が決めるもの。
「あの子に好かれたい」。人の気持ちをコントロールするなんて不可能。好きになってもらえるように誘導することはできるが、好きになってもらえるかどうかは全くの別問題。
「出世したい」。人事は人事権を持つ人間が決めるもの。有利な人事を引き出す術はなくなないが、それがうまくいくとは限らないし、むしろ逆効果になることもある。
こうした欲の部分に拘泥しても仕方ねえなあと悟ってしまったので、結果的に無欲っぽくなった次第。もちろん株で儲けたいし、女の子でウハウハになりたいし、出世したいしで、週刊誌の裏表紙のような「一万円札のプールで両手に女の子でVサイン」みたいなことになりたいわけですが、あんなもんなりたくてなれるわけじゃねえと。儲かるかどうか、モテるかどうか、出世するかどうかは人次第。コントロール不能。であるならばこだわっても仕方ない。
結局こうした欲のこだわりって「結果の欲」なのですよ。過程はともかく、良い結果だけ欲しい。そういう欲。ところが実際問題、自分がコントロールできるのは過程だけ。より良い結果を出すための過程を追及することはできるけども、それが良い結果になるとは限らない。95%までうまくいってても「そばをすする音が」とかで結婚延期とかあるわけだしね。世の中そんなもんよ。
てなわけで、最近は結果にこだわらないのであります。こだわるのは過程だけ。で、自分が望みうる良い過程であれば、結果を気にしない。うまくいくに越したことはないけども、結果をコントロールできん以上は不都合な結果もまたやむなし。そんなわけでございますよ。
そうなってみると意外と気楽なことに気付くわけです。ええ、スゲエ楽。失敗しても万事OK。だって仕方ねえじゃん、そういうこともあるんだから。自分がベストの仕事をしてもうまくいかねえこともある。それだけの話じゃねえですか。あとは自分が結果をくつがえすそれ以上の仕事ができたか?という点だけで、それができねえんであれば話終了。まだやりようがあるなら次頑張りましょう。それだけ。こう考えるようになり悩みが減ったのであります。元々少ねえけどね。
世間を見ていると自分がコントロールできないことをあれこれ悩んでおられるようですが、できないことを悩むより、できることをまずするとか、できる術を考える方が建設的かなあと思ってなりませぬ。結果欲から解脱しては如何?