(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

ひたすら感じろ

書くことにとどまらない、表現全般の法則。

書きたかったら、読め。ひたすら読め。書かずにいられなくなるまで、読め。

これはその通り。読めば書ける。読まないと書けない。ただ、オレはあえて広げたい。

  • 表現したかったら、感じろ。ひたすら感じろ。表現せずにいられなくなるまで、感じろ。

結局全ての出力には入力が必要なのですよ。何かを出すには、何かを得なければならない。で、それは必ずしも読むじゃなくてもいい。何かを見て、聞いて、触って、そして感じる。考えてもいいし、考えなくてもいい。何かを感じることで、何かを感じさせることができる。全ての源は感受性。感受性というコーヒーメーカーに、ひたすら上から五感という水を注いでやる。そうすれば、いつかコーヒーメーカーの内部は満水になり、お湯が出てくる。お湯が出ればしめたもの。自然にコーヒー豆が入ったソーサーにお湯がたまり、コーヒーがこぽりこぽりと出てくる。少しずつでも、必ずコーヒーは出来る。そういうもんですよ。
ただ、このコーヒーメーカーには初期不良がある。最初のうちは入れても入れても出てこない。また順調に作動していても、唐突に目詰まりを起こす。急に何も出てこなくなる。しかしそういうときこそ焦らず騒がず、それまでと同じように、普段と同じように、相変わらず水を注いでやる。いつまでも待ってやる。そうしているうちに必ずその初期不良はなおるし、目詰まりもなおる。諦めて何も得ないと初期不良も目詰まりもなおらない。ひたすら水を注ぐ。諦めずに注ぐ。コーヒーメーカーの容量以上の水を注げば、お湯は必ず溢れてくる。その溢れたものこそ、表現行為だと思うわけです。あなたが淹れた、あなたの味のコーヒー。
同じ豆を使っても、同じ味のコーヒーにならないように、同じものを見ても、同じ表現になるとは限らない。そこに人それぞれの味がある。とにかく何かを感じよ。ひたすらに感じよ。全ては感じることであり、感受性である。入力があれば出力もあるさ。