(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

いいじゃないの幸せならば

基本的にタケルンバは「バカポジティブ」なんです。「ポジティブクソ野郎」なんです。何事も気にしないのです。どうでもいいのです。喜怒哀楽の「喜」と「楽」しか受け付けないのです。それ以外は見ないフリであり、気付かないようにしている。こういうのは面倒臭い。面倒くさいから、なるべく離れたい。となるといい加減なほうがいいんですよ。適当な生き方が合っている。
正直言って競争とか、そういうのはどうでもいいんです。飽きたし、面倒くさい。それよりも、自分が幸せであるかどうかの方が大事なんですよ。で、今は幸せなんです。だから万事OKなんです。誰が何と言おうとオレは幸せなんですよ。
ところが、やっぱり皆さんは競争社会で勝ちたいようで。なんだかんだで負け組になるのは嫌みたい。オレなんかは「楽しければ負けてもいいじゃん」とか言っちゃうバカポジティブなので、なんにも気にならないんですけどね。オレは負け組でもいいもの。別に幸せだし。幸せだから、何と言われようと気になりませんよ。「そうだね、プロテインだね」ですよ。
なんか「マッチョ」だ「ウィンプ」だみたいな議論があるようですが、そういう価値観は非常に縁遠い世界のような気がしまして。強い弱い価値観の中にいるから、そういう言葉がいるだけで。「強くても弱くてもいいじゃん」って割り切れば、こういうのはどうでもよくなるわけで。「いいじゃないの幸せならば」ですよ。相良直美ですよ。昭和歌謡ファン以外にはわからんな。
で、オレはこういうところにこそ「鈍感力」が必要だと思うわけですよ。渡辺淳一みたいな「お前はもっと敏感でよし」みたいな人より、こういう議論で過剰反応する人にこそ鈍感力は必要。「引きこもり」というアビリティがあるなら、文字通り外の声を都合よく閉ざすやり方もある。面倒くさそうなら部屋を出ない。いちいち出るから面倒くさい。そういう図々しさを身につけてもいい。小泉純一郎みたいなデフォで図々しいヤツには、これ以上は鈍感力はいらんけど。
他者の意見で胸を引き裂かれるくらいなら、それを見ない・聞かない・気にしないの3ない主義を発動してもよろしいのでは。そして気楽に・適当に・幸せにの価値観を大事にした方が、毎日を平穏に生きられるのではないかなあと。戦わずに生きることもできるわけだしさ、このご時勢。戦いよりも自己の安寧。心安らかに日々生きる。いいじゃないの幸せならば