(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

聖なる一回性

これ、気持ちよくわかるなあ。同じ経験何度もあるもの。

文章を飛ばす度に感じるのだけれど、一度飛んでしまった文章を、再び書くという作業は、非常に困難である。さきほどまでそこにあった文章を再び書こうとしても、まったくにうまくいかない。

http://sinseihikikomori.bblog.jp/entry/421377/

そうなんだよねえ。文章に限らず、ExcelやWordで作った書類なんかもそうだけど、同じ人間が作っているのに、同じようにできないんだよね。それを作るための知識とかスキルはあるのに、仕上がりが同じにならない。またいいところで勝手にログアウトしたり、強制終了になったり、更新したら「メンテナンス中です」とか。ま、はてなはバックアップ機能があるから助かってるけどさ。
ま、これこそ日々人間は変化しているってことなんでしょうかね。いわゆる静的平衡。同じように見えて同じようではない。徒然草で言うところの「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。たかだが10分、20分前の自分ですら過去になっている。新たな知識や感情が取り込まれ、その結果、同じ材料を与えられても違う答えが出てくる。そういうことなんだろうねえ。

一度それが既知のものとなってしまった時、もはや、人は二度と同じ路を同じ直向きさと情熱で辿ることなど出来ないのだろう。

http://sinseihikikomori.bblog.jp/entry/421377/

誰も過去の自分には戻れない。だから進むしかないし、できることはその都度その都度の自分を記録することくらい。
ブログとか日記はそういう方法として有効なんだろうね。変化し続ける、過去になり続ける自分史。全ては「聖なる一回性」。思い、感じることは全てそのとき限りのもの。一回限りの美学ですね。「ああ、保存しときゃよかった」という後悔の念とともに消えさる美しさ。……カッチョ良すぎか。