(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

被害者側の人権派

これはマスコミも取り組んで欲しい。最高裁で被害者匿名化を初適用。

最高裁では今回が初の適用。弁論では検察、弁護側双方が被害者を名前ではなく「甲」「乙」「丙」などと呼んだ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080313/trl0803132321015-n1.htm

これはいい制度だよねえ。ガンガンやるべき。
いや、オレは常々被害者の氏名が晒されるのはどうかと思っているのですよ。加害者はともかく、何故被害者が晒されねばならんのかと。被害者は文字通り「害」を「被」った側であって、なんも悪くなにのに、どうして個人情報を暴かれなくてはならんのか。これが不思議でならないんですよ。悪いのは加害者であって、被害者ではない。
しかもですよ。時に被害者の実名が出ているのに、加害者の実名が出ないときがありますからね。……ホワイ? 全く意味がわからん。ま、人権だとかなんとか能書きはあるわけですが、オレは根本的な問いかけをしたいのです。

被害者と加害者 守るべきはどっち?

オレは被害者は守られるべきだと思っているわけですよ。被害者の人権とか名誉とかを大事にしたい。そういう意味での「人権派」なのです。不幸にして事件の被害者となった。その被害者はマスコミ報道や、この事件でも理由となっているような報復、その他もろもろの二次被害から守られるべきである。だから被害者は匿名でもいいのではないか。そう考えております。
ところが、ちまたで「人権派」って言うと加害者を守る側なんだよね。加害者の人権。オレはここに疑問がある。極端な話、オレは被害者優先なので、加害者なんてどうでもいいんですよ。加害者は後回し。それが罪の報いってもんですし、罪と罰ですし、名前を晒すことで「あいつは悪いことをした」って情報が手に入ることが重要なんです。
ところが、世間で声がでかい人は加害者側なんだよね。何故だろう。ま、加害者の方が声を上げづらく、不利であるから味方も多いと。判官びいきっていうんですかね。そういうのならわかるけど、現実は被害者の方が圧倒的に弱い。誰も被害者を守ってくれませんからねえ。これじゃ不合理だし理不尽じゃありませんか。せめて被害者の匿名化くらい取り組んで、被害者を守るべきじゃねえですかねえ。
そしてこの問題はマスコミも無関係じゃない。マスコミはどうも加害者に対して弱いし、被害者に対して強い。弁護士にあれこれ言われることが恐いからか、ちょっと問題があるケースだとすぐ匿名にするくせに、被害者は根掘り葉掘り報道する。こういう姿勢がどうもねえ。
で、こういう反論すると「知る権利」を振りかざす。「被害者の素性を伝えることが使命でござい」みたいな。ただ、そんな使命ねえんだよね。そこまで誰も望んでない。殺人事件が起きたとき、被害者の氏名を知りたいっていうのは、単なる野次馬根性なんですよ。とりあえず知りたいと。ただ、そこに報道としての意味はないんだよね。被害者の実名を晒すほどの、被害者の人権を損なうほどの社会的意義。「知りたい」いうニーズがあることと「知らせるべき」というのはイコールじゃねえんですよ。
例えば「○○町に住む40代の主婦」という伝え方でもいいんじゃねえかと。この主婦が殺された。殺人事件の報道としてはこれで十分なんだよね。これを「○○××さん45歳」って伝える意義はどこにあるんかいね。遺族を晒す意義はどこにあるんだろう。こういうところに良識がないのが不思議でありゃしませんよ。加害者こそ個人を特定する意義はあれど、被害者を特定してどうすんのさ。
そういうわけで、こうした裁判所の取り組みはいいことだし、マスコミも是非取り組んで欲しいと願うところ。事件の本質を扱うのがジャーナリズムであって、野次馬根性に合わせて個人を特定する情報を伝えるのは違う気がするんだよな。ま、今のマスコミにジャーナリズムなんてないから無理か。