(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

知識のダムを満水に

自分が思っていたことをわかりやすく説明されていて、朝から物凄くスッキリ。

ほとんどの人が A→B→C D→E→F という知識を持っているようなときに、
X→A と X→D という関係性についての知識を持っている人がいる。
その人はAとDの共通の根っこを簡単に見つけ出すことができる。
あるいは、F→G→H という知識を持っていたら、
簡単にD→・・・→H を想像できてしまう。
ひとはこういったことを見ると「創造的である」と言うのだ。
知識の量がある水準を超えると、急激に創造的になったように見えるのだ。

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同感です。こういうことを言いたかったんですよ。

最初はそれぞれ単独の知識。A・B・C・D・Eというバラバラのもの。そして最初はこれが並んでいることすらわからない。AはA、BはB。それぞれが単独。つながりがない。しかしそのうち頭の中でソートされる。「Aの次はBだな。Cはその隣」みたいに。知識を集めれば集めるほど、その知識の横の比較ができるので、行列を整理しやすい。
それをさらに進めると、行列が途切れていても、間のパーツがわかる。奥行きもわかるし、最終的な到達地点がわかる。またそのものズバリの知識がなくても、代用品でなんとかできるようになる。そんな感じがするのですよ。
そしてこういうポイントが誰にもあるような気がしておるのです。それまでは全く変化もないけれど、ある水準を超えると急に物事が見えてくる。そういうポイントというか、転換点というか、飽和点というかね。それまではダムのように知識は溜まる一方で、ダムの外から見ても何の変化もないんだけど、ある一点を超えると水が溢れ出してくる。そうなると新しい知識をちょっとポタッと落としても、同量が溢れ出る。ダムが満水になるまでは一滴も水が出てこなかったのに、一度満水になってしまえば、入れた水の分だけ外に溢れ出してくる。
カッチョ良く言えばブレイクスルーというんですかね。壁を越える瞬間。壁を越えるまでは壁の手前の世界しか知らない。しかし、そもそも壁があることに気がついていないので、別になんとも思わない。しかし一度壁を越える。そうすると、それまで自分がいたところを見下ろすことになる。自分が狭いところにいたことに気付く。壁を越えないと壁の存在に気付かない。そういう転換点があるような気がしますよ。
知識というダムの中になんでもぶち込む。とにかくぶち込む。そうしているうちにダムは満水になり、色々なものが溢れ出してくる。但し、そのダムの満水になる量は誰もわからないし、現在の貯水量もわからない。けれども、水を入れ続ければそのうち一杯になる。入れれば入れただけ満水に近づく。確実な一歩、間違いのない一歩。今わからなくても仕方ない。そのうちわかるさ。わかるようになるさ。諦めずに水を注ぎ続けるしかないじゃないか。まして自分は悲しいくらい凡人なんだもの。

現時点では、私は無知による創造性を信じない。

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創造性はその人から溢れ出したエッセンス。無知による創造性はオレも信じない。また信じたくもない。自分もそのうちそれが溢れ出すことを信じたい。できるという前提で生きていく。そういうバカポジティブでありたいと思うばかり。死ぬまでに知識や創造性が溢れ出てやまない満水状態になるといいなあ。