(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

作り手と食べ手の果てなき反目

よくわかるなあ、この気持ち。読売新聞の「発言小町」。せっかく作ったチャーハンにケチャップをかけられておかんむりの主婦の投稿。

先日チャーハンを夕飯に作りました。
美味しく出来たつもりで食卓に出したのですが、夫が少し食べた後「ケチャップかけていい?」と言い、ケチャップをダーっとかけたのです。

せっかく作った料理に調味料かけるなよお! : 生活・身近な話題 : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

いるよね、こういう人。この場合ケチャップだけど、何でも醤油をかける人っているよね。いわゆる「醤油星人」。「塩コショー星人」もいるし、「マヨラー」ことマヨネーズ星人もいる。関西には「ポン酢星人」が多いな。確かに何でも調味料かけたがる人っている。
こういうのって作り手と食べ手で感覚が違うよね。

作り手:できたものは完成品

料理をつくる人にとって、できたものは完成品なんですよ。自分なりの味付けをして完成させたもの。味見を重ねたものなら尚更。味をチェックして、調整して、作り上げたいわば作品。満足して食卓に送り込んだ一粒種なんですよ。
なので、それ以上に味付けされると困っちゃうわけですよ。「味ついてるよ」と。「もうそれでできているよ」と。完成させて送り込んだものに手を加えられる。そこに恥辱を感じるわけですよ。「あ、この人は私のつくったものに満足していないんだ」と。「私の味付けに満足してないんだ」「私の料理は未完成品なんだ」と。絵や書に手を入れられる感覚と言いますかね。勝手に直される感覚。
この投稿者の「塩、醤油ならともかく、ケチャップは」って感情はまさにそう。芸術家の矜持と言いますかね。塩、醤油で微修正するならともかく、ケチャップで決定的に変えるのかよと。「わしの元が台無しやないかい」。そういう感覚になるのではないかと思います。作り手はね。

食べ手:できたものはよりうまく食べたい

一方、食べ手はそこまで考えていません。料理が出る。よりうまく食べたい。その結果、ついつい自分好みの調味料をかけたくなる。星人スキル発動。自分好みの味で満足。ご馳走様。こういう一連の流れ。悪いことをしているという感覚はないです。むしろ「君の作ったものをよりうまくなるように食べてるんだ。おいしく食べてもらったほうが幸せだろ」くらい思っている人もいる。悪気はまったくないのです。作り手は完成品だと思っていても、食べ手にとっては未完成なのです。自分好みのアレンジが施されていないから。
また、習慣によるところも大きい。例えば、どこのラーメン屋にいっても、ラーメンに酢とラー油をかける人がいる。醤油ラーメンだろうが塩ラーメンだろうが、絶対にかける。そうしないと落ち着かないという。酢とラー油をかけることで、どんなラーメンも似た味になり、本来の味が台無しになる恐れはあるものの、それでもかけてしまう。自分の慣れた味にしたい。自分が落ち着く味にしたい。そういう習慣性でかけてしまう。
長年使い続けているタオルケットと言うのかなあ。小汚いんだけど、なんとなく落ち着くタオルケットってあるじゃない。ニオイが自分好みというか、嗅ぎなれたというか。新品のキレイなヤツの方が衛生的だし、その方がいいに決まっているんだけど、手放せないのはいつも使っているタオルケット。こういうのがまさに星人スキルだと思うのですよ。
あとよく使っている味覚フィルターの方が味を判断しやすいってのもあるね。醤油星人は醤油を通して味を判断しているので、醤油がないと味の判断がしづらい。いつも感じている醤油の味覚、舌に覚えのある味、食べなれた味、基準となる味があるから、それ以外の味が出てくる。ベースとなる味覚であるということかなあ。星人スキルを通してみないと、本質がわからんよと。別に調味料をかけなくてもうまいし、いいんだけど、かけたほうが見えてくる。そういう感覚があるんだよねえ。

解決法:星人スキルをデフォルトで発動させよう

しかしこれでは作り手と食べ手の合意点が見つからない。完成品を作っている作り手と、未完成と思っている食べ手。絶品の和風に仕上げても、「オレ、中華が好きなんだよね」とアレンジされてしまう。これじゃうまいこといかない。
そこで提案。食べ手の意向を最初から反映させてみてはどうだろう。完成後に修正されるから、作り手はムッとするのだ。であるなら、修正されないように最初から変えてみては。しょっぱなから星人スキルを発動させてみてはどうだろう。
例えば、本件でいえば、最初からケチャップ味のピラフ風に仕上げてしまう。いわゆるチキンライスにする。こうすれば、いち芸術家として自分好みのケチャップ味にすることができるし、ケチャップ味としての完成品をつくれる。また、そこにケチャップをさらにかけられても微修正の範囲内。塩味のチャーハンのときよりは受け入れやすいじゃないか。
結局こういう争いは両者の意思疎通不足で起きやすい。作り手の思いと食べ手の思い。それが異なるときに、両者は違う行動に出る。それが時に気にさわるということ。であれば、最初からその意思を反映できるようにすること。自分の料理、完成品を理解していない。だから自分を理解していないと思うのではなくて、自分が相手を理解するようにするのだ。自分の問題として置き換えてみたほうが前向きで解決しやすいのでは。
結局は心の持ちよう。自分視点で考えるか、相手視点で考えるかの違い。一つ屋根に住んでいるから、長い間連れ添っているからわかるって問題でもない。わかろうとする気持ちがわからせてくれる。相手色に染まるのも器量のうち。けれども、相手はそれで自分の手のひらの上で踊ってくれる。味付けをちょっと変えるというあなたの技術のうちで踊っているだけなのだから。
……でも、作り手って大変よねえ、奥さん!