(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

「忙しい」が大嫌い

何をするにつけ、これだけは使うまいと気をつけている言葉があります。

忙しい

オレは忙しいとは言わない。多分言わないと思う。言わないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ。さだまさしか(@関白宣言)。
でも「忙しい」を使わないようにしているのはホント。人に言われると萎えるので、人に言わないように心がけています。毎度おなじみ「自分がされたくないことは、人にするのをやめよう」フェアの一環です、
というのは、この言葉ってずるいと思うのね。

万能すぎる

「忙しい」ってものすごく便利なんですよ。「忙しい」というだけでそれっぽい理由になる。本当は「忙しい」じゃ理由にならないんだけどね。「忙しい」の先に本当の理由がある。

  • 「忙しい」から時間がとれない
  • 「忙しい」のでやりたくない
  • 「忙しい」ので後回し

こういうこと。でもそれを言わない。「忙しい」止まり。その先は空気読めよということなんだけど、あんまり仲良くない人に対してマイルドに断りたいのならともかく、ある程度の関係にある人にこういうこと言うのは失礼な気がしまして。「やりたくねえんだよ」と本音を言いたくないときの方便として使うならまだしもね。「申し訳ない、今、忙しくて」と。
でも本当のことを言った方がいい間柄で「忙しい」を言うのはねえ。「〜読めよ」みたいな上下の関係を持ち込むようで。万能な言葉だけに、ある程度仲が良いとか、信頼関係があるとか、正常なビジネス関係のある人には言いたくない。不誠実な気がしまして、ええ。

忙しくない人なんているの?

それに、そもそもみんな「忙しい」。自分だけじゃない。誰もが誰も、自分なりに「忙しい」。程度の差はあれ、受け取り方の差はあれ、その処理能力に差はあれ、みんな「忙しい」。
である以上、自分はそれを理由にしたくないのですよ。自分が他人より特別「忙しい」と思えないので。そういう根拠は何ひとつないので。「忙しい」という条件についてはみんなイーブン。であるなら、自分だけそれを理由にできないよね。

やるの? やらないの?

そして物事の「やる・やらない」を時間の「ある・ない」で決定するのがイヤ。「やりたい・やりたくない」で決めたい。やりたいという動機をすべてに優先させる。やりたいのなら、万難を排して実行する。やれない理由をひとつひとつ潰し、実現できるように努力する。そういう自分でいたいと思っておりまして、ええ。
その考えで行くと、「忙しい」なんてのは時間というごくごく小さいひとつの障害に過ぎないわけでして。「忙しい」と。時間がとれないと。そんなことはわかってるんですよ。問題は、それでもやる価値があるかどうかなんですよ。忙しくてもやるべきか。時間をとってでもやるべきか。その先に「やる・やらない」の選択があるわけで。「忙しい」を理由にするのは本質的じゃない気がします。

バカにも最低限のプライドはある

「忙しい」は時間を理由にして「やる・やらない」の選択を放棄するようなものな気がするわけですが、同時に「オレはダメですよ」と言ってしまうようなものじゃないかとも思っております。
だって「やりたい・やりたくない」以前の問題として、時間をコントロールできないってことなんですもの。意欲とか動機以前に、物理的に不可能であると。その時間をつくれませんよと。で、それはその程度の自分ということじゃないか。時間をつくれない、調整できない、工夫できない。そういう限界告白ではないかと。そんな気がするのです。
別にオレはプライドなんかないですし、自分はバカだと常々思っている凡人ですけども、みすみす自分がやりたいと思っていることをできずにいるなんてイヤです。やりたいことはなんとしてもやりたい。バカはバカでいいとして、最初から「忙しい」で諦めたくない。「バカなんで、やってみたけどダメでした」には持って行きたいなあと。指をくわえてボケーッとしているのはイヤなのですよ。結果はともかく、チャレンジだけはしておきたい。

やらないための理由

そう考えていくと「忙しい」は「やらないための理由」なような気さえしてきます。「忙しい」からやらないのではなくて、やらないから「忙しい」ことにすると。それだけの話じゃないかと。
それなら「忙しい」という後向きの言葉を使わないようにすればいい。「忙しい」を使わずに済むような環境を作ればいい。その方が前向きでポジティブだ。
本音を言える対人関係をつくる。「忙しい」の先にある本当の理由を言える関係にしてみる。
時間をつくれるようにする。予定は手前手前に突っ込み、先をなるべく楽にする。そうすれば急な予定が入っても対処しやすい。
移動を苦にしない。有益と思えば距離や時間を考慮せずに動く。その分、楽しければいいじゃないか。
このような考えのもと、「忙しい」はセルフ禁句にしております。「忙しい」を理由に断るのが大嫌い。むしろもっと「忙しく」なれ。「忙しく」なってくれ。こう毎日願っております。「忙しい」でも遊んでやるぞと息巻いております。オバマ風に言えば「I'm busy , but yes we can.」と言ったところでありましょうか。忙しくても色々できる自分でありたいもんですなあ。