(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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哲学者・田口壮

やっぱり只者じゃない。野球選手というより、哲学者の言葉だわ。

特にうなったのが守備についての話(第10回)。

  • 田口

(守備は)おもしろいですね。
もう、1球1球で状況が変わってくるので。
1球投げたあと、つぎの1球を投げるまでに、
いろんなことを考えますから。
打球がここにこう来たら、こうやってこうやって、
このカウントならバッターはこう打つから、
ちょっと守備位置をずらしておこうとか、
そういうことをすべて考えます。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 野球のカミサマ、初球だけ狙わせてください。
  • 田口

最初は、味方の投手にしろ、相手の打者にしろ、
「こいつ、今日はどうかな?」という気持ちで
様子を見ながら、守っています。
で、だんだんだんだん、ゲームが進むごとに、
守備の精度は上がっていきますね。

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ここでの糸井重里のツッコミも的確。

  • 糸井

ああ、それで納得することがあります。
あの、「ファインプレー」って、
試合の後半のほうに多いと思ったんですよ。

  • 田口

ああ、守備の精度が上がってからのほうが、
当然出やすいですよね。

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何気なく見えるひとつひとつのプレーも、実は過去の蓄積がベースにあるということ。そして毎日のように試合をしていても、毎試合変わるという「聖なる一回性」。それを回を負うごとにアジャストしていく対応力。それによって守備の精度が上がる。ファインプレーが後半に多いのはそういうことが理由ではないか?
この話は非常にスッと入ってくるところがありまして。よく勝負事には「流れ」って意味不明なものが存在すると言われているんだけど、この「流れ」を試合中の精度を上げるための一連の行動と捕らえるとわかりやすい。
あるプレーが流れを変える。
まあこういう話がよくあるわけなんだけど、それは「流れ」を変えたわけじゃなくて、ある何かの精度を高め、ビッグプレーを生み出すきっかけであると。そういうある種の「コロンブスの卵」的なものが「流れ」ではないか?
こう考えると麻雀なんかもそうなんだよね。あれなんかもツキの流れというものが言われるゲームなんだけど、確かに後半で局面が変わることが多い。それは半荘という1ゲームにしてもそうだし、ある1日という単位にしてもそう。後半に局面が変わる。
それはまさしくこの野球の話と似ていて、ゲームの途中で相手の傾向、パターンなんかがわかってくる。「あいつは今日は染め手が多いな」「やたらリーチにくるな」「引っ掛けばっかりしたがって」とか。
同時に自分のパターンも決まってくる。こっちはかなり思い込みなんだけど、なんとなく「今日はついてない」「ダマの方が良さそう」「やたらチートイの手が入るな」と。
そうなってくると少しずつ相手に対するリアクションが決まってくる。「あいつは今日はついてる。降りよう」とか。逆に「あいつはついてない。勝負だ」とか。そうしたせめぎ合いの部分が説明がつくようで。スポーツに関わらず、相手のある勝負事ってこういうことなのかな。何事も終盤勝負であることがよくわかりますよ。
となると高度に洗練された勝負師の間での試合の場合、カギを握るのは序盤なんだろうね。情報もない、素の状態でどうするか。

  • 糸井

あと1回の表とか裏に点が入りやすいのも、
そのへんのことに関係がありそうですね。

  • 田口

それも同じ理屈で説明できますね。
対戦がやっぱり少ないですから、
データでは補いきれない。

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長年、野球に対して思っていた謎が氷解するやりとり。こういう謎を言語化できる田口壮という選手は、きっといい指導者になるんだろうなあと思った。これだけ野球を理解して、尚且つそれを言語化してものにして、人に伝えられる能力があるって凄いこと。
選手としてもまだまだ見ていたいけども、早くどっかの監督やってくれんかなあ。田口壮、凄すぎです。それを引き出した糸井重里も凄いけど。