(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

事実以外は信用しない

こんにちは。新聞記事に「……議論を呼びそうだ」とあると「ケッ」と思わず言ってしまうタケルンバです。
4月から新たな環境に臨む皆さんは、毎日の生活に慣れてきましたでしょうか。今回は新生活にも役立つリテラシーのコツについて書きたいと思います。難しそう? いやいや、そんなことありません。リテラシーのコツはとてもシンプル。

事実と意見を分けよう!

はい、これだけ。簡単ですねえ、シンプルですねえ。

主観が入るかどうか

何故分けなければいけないか。それはこの2つの性質が全然違うからです。例えば主観が入るかどうかで考えても、この両者にはこういう違いがあります。

  • 事実……主観が入る余地のないもの
  • 意見……主観が入ることでつくられるもの
「机の上にりんごがある」

これは事実です。机の上にりんごがあれば、誰も反論しようがありません。揺ぎない。主観が入る余地がありません。

「机の上にうまそうなりんごがある」

こうなると意見が入っています。「うまそうな」は意見です。誰かの「うまそう」という主観によってつくられたものです。りんごがあることは事実だが、うまそうであるかどうかは意見なのです。

意見は正しいとは限らない

事実はその事実を確認した人すべてに対して正しさを保証しますが、意見はその意見を発した本人にのみ正しさを担保します。本人以外に通用するとは限らないのが意見です。

「机の上にりんごがある」

その光景を見た人にとっては正しいことです。だってあるんですもの。くつがえしようがありませんわな。見りゃわかる。

「机の上にうまそうなりんごがある」

「うまそう」と思わない人がいるかも知れません。ここに不確実性がある。「うまそうな」というのは「うまそう」と思った人の主観であって、それは万人に通用する主観じゃない。その人だけの価値観かもしれない。「うまそうな」という価値観は、「うまそう」と思った人の中でのみ正しい。
つまり、意見は不確実なのです。

事実は揺るがない

また揺るがないからこそ事実には信用がおける側面があります。

「机の上にりんごがある」

これは誰が見てもそうなので、誰かが「机の上にりんごがあった」と言えば、かなり確度が高いと言えます。もちろん、この事実を捏造されるリスクもあるわけですが、しかしそれにしても意見よりはマシ。意見よりは信用できることでしょう。
本当は自分が確認しないと確かなことはわからないのですが、何もかにも全部自分が確認できるわけがない。であるなら、人に頼るしかない。人に頼るのであれば、主観が入ることで揺らぐ意見じゃなくて、より確実な事実に頼ろうと。こういう発想になるわけですな。

渡る世間は意見ばかり

ところが、世の中に溢れているのは意見です。事実は少ない。だからこそリテラシーの必要があるわけですよ。
次の記事を例にそれを見て行きましょう。

11日の東京株式市場で日経平均株価は4日ぶり大幅反発。大引けは前日比378円43銭(2.92%)高の1万3323円73銭だった。前日の米株式相場の上昇や外国為替市場での円相場の上昇一服に加え、国内企業の好業績見通しが安心感を誘った。株価指数オプション4月物の特別清算指数(SQ)算出の通過やアジアの主要株価指数が堅調であることも下支えした。東証株価指数(TOPIX)も4日ぶりに大幅反発。高値引けだった。

NIKKEI NET - 東証大引け・4日ぶり大幅反発――米株高に企業業績が下支え

よくある記事ですね。毎日のように出ます。ではこの記事の中で事実はどのくらいあるでしょう。タケルンバが見る限り、この程度のものでは。赤字部分が事実と思われる箇所です。

11日の東京株式市場で日経平均株価は4日ぶり大幅反発大引けは前日比378円43銭(2.92%)高の1万3323円73銭だった。前日の米株式相場の上昇や外国為替市場での円相場の上昇一服に加え、国内企業の好業績見通しが安心感を誘った。株価指数オプション4月物の特別清算指数(SQ)算出の通過やアジアの主要株価指数が堅調であることも下支えした。東証株価指数(TOPIX)も4日ぶりに大幅反発。高値引けだった。

NIKKEI NET - 東証大引け・4日ぶり大幅反発――米株高に企業業績が下支え

甘めにつけてこんなもんです。「大幅」なんて言葉は主観ですからねえ。何をもって「大幅」というのか。「大幅」の定義は人それぞれなのでねえ。感覚の問題だし。
また「安心感を誘った」だなんて主観の最たるものですよ。「下支えした」とか。ほんまかね? 誰がどう安心したかわからんし、誰がどう買い支えたかわからん。主語がないしなあ。実体がない。こういうものはすべからず意見なのです。この記事を書いた人がそう受け取った。それだけのこと。事実じゃありません。事実であれば主語があるもんな。安心したのは誰よ? 誰なんよ?

事実以外は信用しない

こう見ていくと、事実は意見より確実であるのに、より確実な意見は少ないと。こういうことになるわけです。だからこそ、冒頭に挙げた事実と意見の分別が重要になるわけですよ。事実を選り分けましょうと。それが大事になってくる。
基本的にはこういう姿勢でいいかも。

事実以外は信用しない

これでええですよ。人の意見があっている保証なんてまったくないし。基本は一次情報だし、二次情報を信用するなら事実だけです。

つまり、本当のメディアリテラシーっていうのは、二次情報からあらゆる立場や価値基準を省き、事実を取り出す作業であり、その能力。

正しいメディアリテラシー論 - (旧姓)タケルンバ卿日記

こういうことなんでございます。意見には、意見を発する人の価値基準が絡んでますからねえ。「バイアス(偏り)がかかっている」なんて言うけどさ。
まあ、悪く言えば疑い深くなろうってことでもあるんだよねえ。「『……議論を呼びそうだ』とあると『ケッ』と思わず言ってしまう」なんてまさにそうだけど。こういう意見を見ると「お前が議論を巻き起こしたいだけだろ」とか「本当は議論もないくせに」と思うクセをつけるとよろしいかと。「議論を呼びそう」という書き手の意見であって、そこに事実はないもんな。
ことに最近の新聞には、こういう「人のせい言説」が多いので注意が必要。華麗にスルーすると吉。2chよろしく「ソースは?」って言ってやれ。
以上、日曜のシンプルリテラシー講座のお時間でした。
(追記)2008/04/13 16:05
蛇足ですが、一番いいリテラシーの実践方法をお教えしましょう。

タケルンバを信用するな!

タケルンバが書いたものも意見。である以上は信用しないことです。リテラシーはここから始まっている。あらゆる意見を見て聞いて、そこから出てきた自分の意見は正しいけどね。人の意見は正しいとは限らんが、自分の意見は自分の中では正しいので。
鵜呑みにせず、都合よく読み取って下さい。頭から信用しちゃダメだぞ。