(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

最高を知りて足りなきを知る

最高を知ることで、正しい現状認識も可能になりますよね。

「最高」を知らなければ、答えがわからなまま「足し算」を延々と続けなければなりませんが、「最高」を知っていれば、その「完成形」からの引き算で、「足すべきもの」が容易に見えてくるのです。

2008-04-12

これが最高を知る意義。同感。引き算発想ができるようになるんですよ。足りないものがわかる。
ジグソーパズルの見本のようなものでしてねえ。見本がないと、一体何をつくっているのか。完成形はどうなるのかがわからないんだけど、見本があると完成形がわかる。行き着くところがわかる。また完成形がわかるから、現状との差もわかる。完成までどのくらいかかるのか。足りないピースはなにか。何が必要なのか。これがわかるのはゴールがわかるからなんだよね。
ディベートの指導をする際に、よく練習試合の相手をするんですが、そのときに本気で相手をするのはこれが理由。ま、自分がシンボリルドルフだとはまったく思わないし、最高でもなんでもないけれども、少なくてもそこらへんの人よりはるかにキャリアがある人間と対戦することで、より良いものを知って欲しい。少しでも高いレベルのディベートを知ってもらいたい。オレ程度は軽く乗り越えてくれよと、そういう願いをこめて対戦しております。
もちろんこっちは10年以上のキャリアがあるベテランで、尚且つ未だに現役。普通にやればまず負けるわけないし、そんなに準備をしなくてもどうにでもなるんですが、少しでも高いレベルのディベートを見せてやろう、食らわせてやろうと、自分なりのベストの準備をします。手を抜きません。普通の試合と同じようにします。全力です。どっちみち手抜きできる器用なタイプでもないんで。
そうなると「ちょっとやりすぎかな?」みたいな結果になる。ジェノサイドと呼べる内容になり、けちょんけちょんになるのですが、これでいいんだろうと思っています。練習は強い相手とやってこそ。弱い相手からは学べるものは少ないですしね。けちょんけちょんの経験から学べばいい。それを応用すれば、今度は自分たちが相手をけちょんけちょんにできるのでね。オレのディベートから、自分たちのディベートを引いて、出た答えが足りない要素。それを学んでくれればいいんですよ。
逆に言えば、オレもまだまだ学んでますしね。オレはちっとも最高じゃないので。完成形じゃないので。自分自身をシンボリルドルフにすべく、日夜研鑽に励む日々であります。強い相手と試合をしては、時にけちょんけちょんにされております。でも、そこから学ぶものがあればいいんです。強い相手からノウハウを盗めればそれでいい。全然悔しくねえですよ。負け惜しみじゃなしに。
最高を知りて足りなきを知る。人の強きを知りて自分の弱きを知る。下を見ておごることなく、上を見て謙虚に学べってところですかねえ。学びの道、未だ遥かなり。