(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

「しない理由」を気にしない

前向きで、物凄く共感した。

「こうしないようにしよう」「これは危ないからやらないようにしよう」「これは気をつけないと」って、
しないように、ならないようにって考えてばかりのような気がするんよ。

しないをしないで、しようをしよう。 - Attribute=51

「しない理由」より「する理由」を優先するっていうのかな。単なる考えかたの問題なんだけどね。それこそポジティブかネガティブかってところだし。考えかたとか姿勢が出るところ。
「しない理由」のほうが見つかりやすいんだよね。「する理由」より。メリットよりデメリットは見つけやすい。長所より短所が目立つ。プラスよりマイナスは意識されやすい。やっぱりアラのほうが目立つんだよな。わかりやすいし。
それに変化することでのマイナスを過度に恐れるところがある。何もしなければプラマイゼロ。何かしてマイナスになったらどうすんだ。こういう意識が「しない理由」を強調してしまう。誰だって現状より悪くなるのはイヤだもんな。不確実の利益より、確実な現状を好むというところ。
ただ、「しない理由」の思考だと、自分が望むものが手に入らないんだよね。そこに自分がないから。ダメな理由をいくら並べても、自分がすべきことは見つからない。「それをしない」という答えが出るだけで、「何をすべきか」という答えは得られない。「No」をいくつ繰り返しても、自分の「Yes」は見つからない。
まして、「しない理由がない」からOKだとしても、それが自分のやりたいことなのか。一致するのか。マイナスがないということは、果たして自分にとってプラスなのか。ここに疑問がある。それこそ妥協の産物というかね。主体性のない決定になりがち。
「する理由」を優先したいのは、まさにこういうところ。主体性を持って決めたいし、自分がすべきと思うことを実行したい。やりたいならやればいいじゃないか。それだけ。
もちろんそれにはマイナスもあって、耳を傾けるべき「しない理由」もあるんだけど、それはそれ。聞く。参考にする。でも実行する・しないには関係ない。「する理由」があって、自分がしたいなら、するだけのこと。「しない理由」を優先して、本来自分がしたいことを実行せず、その反面、自分がしたいと思わないことを実行してもしょうがないしね。モチベーションが違うだろうしさ。
どっちみち結果の責任を負うのは自分なので、多少のリスクを負っても、自分のやりたいようにやりたい。「する理由」を優先していたい。「しない理由」ばかり見つけて、それを優先してやらないでいると、何もできなくなってしまう。実行することに対する恐れより、主体性がなくなる恐れのほうがあるな。こっちのほうが恐怖。

あんまり、「損しないように」「失敗しないように」って考えてると、
しまいには「自分は結局どうしたいんだろう」って途方に暮れちゃったりするよ。
「今、やりたいこと10個あげてみて?」って聞かれて案外答えられなかったりする。

しないをしないで、しようをしよう。 - Attribute=51

常にToDoリストは満杯でいたいし、常にそれを消化していきたい。「しない理由」がないものをやるんじゃなくて、「する理由」があるものをやっていきたいな。「しない理由」は気にしない。「する理由」を気にする自分でありたいね。