(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

ブログを書く理由

オレの場合「書きたいから」という単純な答えしかないんだよね。ブログを書く理由。

人それぞれ理由や目的があるんだと思いますよ。動機は人それぞれで、得ようとしている果実も人それぞれ。で、それでいいんだと思いますよ。そういうものが多種多彩なジャンルほど可能性があるし、多くの人を巻き込めるわけなんでね。広がりがあるものって、そういうものだと思うから。
ただ、オレの場合、大した理由なんてないんだよね。昔から文章書くのが好きでして。学生時代には作文とかレポートの代筆を請け負ってたくらいで、文章をこねくりまわして書くのが好きなんだよね。そんだけ。
なので、マジメに取り組んでいる人にとっては呆れるほどなにもないんだよ、オレには。好きだからやってる。それ以上でも以下でもない。たまたま文章を書く場がブログになったというだけ。なのでブログというツールに思い入れもない。単なる表現手法。書く方法のひとつ。極端な話、「原稿用紙に書くか、ブログで書くか」の違いくらいでしかない。
また、はてなダイアリーでやっているというのも、「ノートのメーカーはどこ?」みたいなレベルで、実は思い入れがない。「コクヨの大学ノートです」と「はてなダイアリーです」は一緒。そもそもはてなをコミュニティとして使っているわけじゃないし、コミュニティの一員という意識もないんだよな。アドレスという文字通り住所であって、それ以上の意識はないんだよね。愛着はないことはないけど、「愛着=転居コスト」なんだよな。「他のところに移すの面倒くせ」という手間が現在地に対する愛着と同じ。「携帯電話のアドレスが変わっちゃうからドコモでいいや」みたいな感覚。これまた深い考えがない。
あとアクセスアップとかにも興味がない。だって、アクセスアップは手段であって、目的じゃないから。アクセスが増えるとうれしいし、有名になることで得られるメリットは大きい。だからオレだってアクセスは増えて欲しいし、有名になりたいなあとは思っているけども、それは「書くことを、より楽しむ」ための手段だと思うわけね。新たなステージに上がることで、新たなことを書くチャンスを得る。そういう手段。なので、書くことを楽しめなくなるならノーサンキュー。「あれも書きたい、これも書きたい」ではじめたのがブログなので、「あれも書けない、これも書けない」になるのは真っ平ゴメン。
「良い記事を書こう」ってのもないな。その都度、自分が書きたいことを書いているだけだから。あんまり狙ってないんだよね。書いてみてから「これウケるかな?」とかは考えるけど。でも良いか悪いかなんてわからない。こういうのは自分以外が判断することでわしゃ知らん。「誰かにとって良い記事になれば」って願いはこめてるけどさ。願うだけで意識付けはしないな。「良い記事を書こう」と意識するあまり、文章イップスになったらたまらんもの。
けれども面白いことをしようって意識はあるよ。これはある。でも、それは「自分が楽しみたいから」。楽しいことをしたいし、面白いことをしたい。それをブログでやりたい。それはその結果を自分がまず享受するためなんだよね。まず自分が笑いたい。笑っていたい。その上でごらんになってる皆さんが楽しんでいただければさらに楽しい。楽しんでる反応を見ればますます自分が楽しい。「楽しいの自乗効果」っていうのかな。そういうのになればいい。楽しいが連鎖して広がるならば、こんなありがたいことはない。
と言いながらもたまにマジメなこと書いちゃうんだよね。面白くないことも書いちゃう。ま、これも書きたいから書いているだけなんだけど、書きたいと思っちゃったので仕方ないんだよね。……理由になってねえよ。それだけ何も考えてないってことなんですよ。これだけ書いてるジャンルがバラバラなのはそういうことなんです。思いついた順、書きたいと思った順に書いてるからこういうことになるのです。でもって「書きたいから」というのがブログを書いてる動機である以上、自分にとっては凄く自然なことなのです。「これ、うちのキャラに合わないよなあ」とか考えると面倒なのでね。
以上、オレのブログを書く理由。長々書いたけど「書きたいから」が理由でした。単純なんです、はい。