(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

言葉に乱れなんてない

こういう調査結果を見ると価値観の違いを痛感するよね。文化庁が実施した「国語に関する世論調査」。

オレはこのあたり結構無頓着な方で。まったく気にならないことはないけど、別になんでもいいやって考え方だし、「正しい日本語」とか「言葉の乱れ」なんてねえよと思っているわけで。「正しい」とか「乱れた」というのは基準があるから言える話なわけで、そうした基準があるとは思えないんだけどな。

オレの考え方はこの2本の記事に書いてあるんだけど、言語を道具として割り切ってるんですよ。「相手に意思を伝える」というコミュニケーションの道具としてね。なので通じればいいし、相手にわかってもらえればいい。通じること、理解してもらうことが言語の目的なので、その手段に良いも悪いもねえだろうと。
中国のトウ小平が言ったところの「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」というか。「日本語であれ英語であれ、相手に意思が通じるのが良い言語である」と思っているんですよ。細かい様式美なんてどうでもいい。通じるかどうかの結果が重要。
また「標準語」って言葉が誤解を生む点があると思うんだけど、標準語は正しい日本語じゃないんだよね。標準的に通用する日本語であって、正しいわけじゃない。「とりあえず正しいことにしておく」ってだけなんだよね。文部科学省とか学校とかが絡んでいるから正しいと思い込んでいるだけで、これが絶対無二であるかと言うとそんなことはない。絶対的な基準ではないんだよね。そもそも「日本語がバラバラだと困るから、これを標準としましょう」という趣旨でつくったものだし。人工的につくった基準にしか過ぎないんだよね。
あと単純に言って、「正しい日本語」って「自分が知っている日本語」なだけなんだよな。そして「乱れた日本語」は「自分が知らない日本語」。知っているものは正しくて、知らないものは間違っている。そういう狭量な部分ってどこかにある。親や学校で教わった日本語が正しい。教わっていない日本語は間違い。そういう意識。
でも通じれば言語としては問題ないんだよな。間違っているもなにもない。若者言葉が問題みたいな結果になっているけど、それが若者の間で使われ、若者の間で通じているんなら、他人がとやかく言う話でもないだろうし。どの世代でもそういう言葉はあっただろうしな。最近「日本語が乱れてる」って言う世代だって、彼らが若い頃は「ナウイ」「フィーバーしようぜ」「メンゴメンゴ」とか言って「言葉が乱れてる」って言われてたわけだし。……全部死語になってやんの。だせえ(笑)。
「最近の若い者は」同様、「日本語の乱れ」も伝統芸能になっている気がする次第。自分がわからない言葉遣いを認めない狭量に問題がある気がするのはオレだけなのかな。理解できないものは認めない。認められないものは乱れてる。日本語の乱れは行き着くところ狭量なのでは?