(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

内容の深さだけでは片手落ち

随分と極端な意見ですね。マジレスしちゃうよ。

要するに、はてブウケする情報というのは、浅いのだ。
はてなブックマーク - 工学ナビの中の人の研究と周辺 あのマーカレスARの研究がついにソース公開! こっちが浅い情報 184ブクマ
はてなブックマーク - Georg Klein Home Page より深い情報 31ブクマ
というように、6倍の差がある。
有用性で言えば、明らかに下の情報の方が有用なはず(というかソース)だけど、論文なんか見ても解らない人たちは日本人が適当に端折って解説した方をブクマする。

長文日記

有用性って言ったって、「誰のために有用なのか」が大事なわけだから、「明らかに下の情報の方が有用なはず」とは言い切れないと思うんだけどね。それぞれ知識レベル、興味レベルは違うわけで。「論文なんか見ても解らない人」にとっては「日本人が適当に端折って解説した方」が有用なわけで。論文見てもわかんねえんだから。わかる方がいいじゃん。わかった分だけプラス。プラスになっただけ有用。
これは学術的な話に限らず、何でもそうでしょ。それぞれはそれぞれに合ったレベルの情報を求める。ネットでは特にそう。一般常識レベルでよければwikipediaでいいし、より詳しくとなれば、それこそ論文を探すことになる。理解できる範囲の中で、自分が求める情報を探す。そういうもんでしょ。
食べ物で言うと、胃腸が悪い時に消化吸収が悪いものを食べてもしょうがないというか。受け付けないものを食べても……ねえ。いくら栄養があっても、吐き出してしまえばチャラ。普通の食べ物より栄養がないことはわかっていても、お粥の方がいい。それがその人にとっての有用性ですよ。学術性とかは後回しの議論でして。まずは理解されないと意味がない。プラスを前提とした話でねえと。

ブログというのは仕事で書くわけではないので、誰もが理解できるレベルまで噛み砕いて書く必要はないと思う。
思索を生業とする人が書く文章は、パッと見、わけがわからないくらいが丁度いいのではないか。

長文日記

誰を対象にして書くかだなあ。誰のために書くか。そして書く願いは何か。「みんなに理解して欲しい」のならば噛み砕いて書いた方がいいし、「わかる人だけわかれ」ならば、わけがわからなくていい。目的と手段の話であって、どれが、どっちがの話じゃない。「目的と手段が整合した書き方の方がいいね」というだけじゃないかな。

誰にでもわかるレベルの記事を書く、なんていう仕事は、ジャーナリストに任せておけばいいと思う。
ジャーナリストの多くは、本物の科学者に比べれば理解していることは少ない。そのへんの理系学生に毛が生えた程度のものだ。ひょっとすると抜けてるかもしれない。

長文日記

このあたりの記述に関しては……ねえ。どうしてこういうこと書いちゃうんだろうねえ。
基本的に理想的な文章って言うのは、深い内容で、わかりやすい文章だと思うんだけど。深さと広がり。内容という深さと、わかりやすいという広さ。それを兼ね備えるのが理想。だから、こういう「わかりやすさ」軽視には違和感がある。それも文章の意義。同時に内容も求めることも必要だと思う。「わかりやすい」だけを優先して、内容をおろそかにするっていうのもダメ。両方が大事なんじゃないかな。えらく凡庸な答えだけど。でも当たり前の帰結なような気がしますよ。片方じゃだめ。両方でホンモノ。

とはいえ、いつまでも受験生や新入社員ではないだろうから、これから何年かするとはてブユーザも高齢化してきて、内容もオヤジ向けになっていくかもね。

長文日記

ならないと思う。何故なら、毎年受験生や新入社員は誕生するから。わかりやすい初歩の情報を求める人はこれからも出る。ずっと出る。それが知識の入口である以上は永遠に出る。そういう最初の一歩と、深い奥底の一歩を同時に歩めるのがネットの良さだと思うんだけどね。そしてそうしたレベルに応じた情報を調べることができるのが、Googleなんかの検索サービスの意義だと思うんだけれどね。
内容の深さもわかりやすさも大事だし、ジャーナリズムもアカデミズムも両方大事だ。これが結論です。はい。

追記(2008/10/10 23:55)

最後の「これから何年かするとはてブユーザも高齢化してきて、内容もオヤジ向けになっていくかもね」に対する「ならないと思う」というオレの意見は、ある程度証明されていると思う。同じような議論、同じような話題が再三蒸し返されるのがその証明。新たにその問題点を抱えた人間が流入し、議論をする。それだけのこと。
それを議論済みの人が「もうその話は決着がついてるよ」「何回目だよ」と言ってもしょうがない。その人たちにとっては初めての議論なのだから。