(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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毎年恒例ベストメンバー規定祭り

サッカー界毎年恒例のネタが今年も炸裂。天皇杯って控えメンバーで試合しちゃダメなのかね。

大分は鳥栖戦に、優勝したナビスコ杯決勝(1日)から10人、千葉は直近のJリーグ大宮戦(10月26日)から先発メンバーを7人入れ替えた。Jリーグの公式戦ではベストメンバーで臨む「最強チーム規定」があるが、天皇杯は適用外。

http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20081107-OHT1T00043.htm

「だから、ベストメンバーの定義は!?」という一言をもって終了でよろしい気もしますが、あえて別の観点で書くと、大分だって千葉だって、大人が運営する大人の会社なので、もう少しほっとけよと思うわけですよ。自由主義社会なんだから。ガキじゃねえんだから。
で、好き好んで損をする自由も含めてほっとけよと。損することを選んだのなら、それは好きにさせておけと。その選択と結果を受け入れるのであれば、周りはとやかく言うなと。そう思う面がありまして。控えメンバーで戦って負ければ、自分たちが損するわけだし、それがサポーターに評価されなければ、集客に影響して、自分たちのクビを締める。そういうマイナス面を考えた上で、それでも控えメンバーで戦うと選んだのならば、それはそれで立派な選択であり、ほっとけや。そう思ってしまうのですよ。
もちろんプロスポーツの話であり、話はこと1チームにとどまらず、日本のサッカー界全体に波及する話だからというわけで、こういう激怒という話になっとるわけでしょうが、じゃ、本当に日本のサッカー界が損するかというと、そんなことはない。メンバーを温存するのは、それこそコンディション的にベストメンバーを揃えるためであったり、勝ち上がった後のことを考えてのことであったり、あるいは同時進行中のリーグ戦のことを考えてなわけで、サッカー界全体での収支計算はマイナスにはならない。あるチームがふたつの国のリーグに属していて、片方で手を抜いて、片方で本気とかいうケースなら困るけど、結局は日本サッカー界での出来事。優先順位の問題で、10ポイントの本気度があるとして、そのポイントをどう配分しますか? という選択に過ぎない。そしてそれぞれのチームが、それぞれのチームの状況に応じて最適な答えを出しているわけで、たまたま試合に負けたからといって、それでああだこうだ言うのは筋違いなんですよね。それぞれのチームが独自採算でやってるわけだし。別に経営してるわけだし。間違っていた答えであっても、ほっとけばいいんですよ。災いはそのチームに降りかかってくるんだから。そして勝った相手方がトクをするんだから。鳥栖にはトクでしょうよ。
それでもなお「看過できない。困る」という話ならば、協会がきちんとルールをつくって管理すればいいわけで。自由を認めなくすればいい。ベストメンバー規定の定義をつくって遵守させる。そうすればいい。また、それが現実的に、選手の層的に、予算的にできないチームが出てくるわけなのだから、リーグでの儲けを分配すればいい。日本代表戦での利益でもいいし、MLBの贅沢税みたいなのでもいい。儲かってるチームの利益を、他のチームに再配分するシステムをつくってもいい。自由主義じゃなくて、共産主義でもいい。実際、アメリカのプロスポーツはそうですからね。サラリーキャップで給料の上限を決めたりしてるし。放映権なんかをコミッショナーが管理して、その収益を再配分するようになってるし。そういうやり方もある。
要は「口を出すなら金も出せ」だし、「金を出さないなら口も出さない」が筋。自由主義なら自由経営に任せるべきで、不利益を受ける選択の自由も認めるべきだし、それが認められないならば、きちんと共産主義的システムをつくって、利益の再配分がされるようにすればいい。どっちかにすりゃいいんですよ。
それを中途半端にするから、こういうワケの分からん話が毎年のように出てくる。そろそろサッカー協会も立場を決めた方がいいよ。どっちなのよ。どっちに行くのよ。少なくてもヨーロッパは自由主義だしね。利益の分配はあんまりしない。儲かるところは儲かりっぱなし。逆に潰れるところは潰れる。あんまり救済しないしね。強者と弱者が明確に違う。階級社会。メガクラブとかプロビンチャって言葉が普通にあるくらいだし。このあたりはアメリカのプロスポーツとは好対照。
日本もこのくらいの哲学はあっていいんじゃないの? ねえ、どうすんの、犬飼さん?