(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

間がいい人願望

間がいい人になりたい。足らざるを知り、足りすぎを知る人になりたいのですよ。
ワタクシもサービス業にいたもので、ある程度できる部分もあるし、そこは経験で補える領域もある。よく「センス」って言い方をするけども、センスってある程度までは経験でなんとかなるんですよ。出来事と、それとセットになる対応を理解すればね。条件反射でこなせる部分もある。
例えば、隣で荷物を送る日付の話をしている。送るものもわかった。そういうときに自分がすること、まして電話をしている人が先輩であったり上司であれば、やるべきことは自然に決まってくるはず。その送る荷物を手元に持ってくる。梱包する箱(ダンボールなんか)、ガムテープ、ハサミ、荷札を用意する。この程度であれば当然想定の範囲内だし、パターンさえ覚えればなんてことない話なわけですよ。それを実行するか、しないかの程度の話ですな。
ただ、目に見えた出来事がないもの、ことに人間関係は難しい。いわゆる空気。さっきの例なんかは「空気を読む」ではなくて、「起きている出来事を理解する」ってだけのこと。空気でもなんでもない。慣れてくれば「当然わかるよね?」ってレベル。出来事を理解する空間の広さ・狭さはあるだろうけど、仕事として直面したら、さすがにわかるでしょって話だし、わかってもらわんと困る話。
しかし人間関係だと答えが出ない。相手は同じ人間だけども、人によって思考パターンが違うので、条件反射的な対応ができない。ことに問題なのが、人間は合理的な行動をするとは限らない点。非合理なことをする。損することをわざわざする。数式処理できないし、パターン処理もできない。パターン処理できることもあるけど、その通りに動かない。例外が多すぎる。なかなか難しいのでありますよ。困ったものぞな。
結局は人間という集団で理解しても限界があって、個人を理解しないとどうにもならんのですよね。個々人によって行動が違うので、個人単位でパターンを認識しなければいけない。社会属性なんかはそれを知る手がかりにはなっても、決定要因にはならない。すべては人間単位なのですよ。なかなか難しい。
となると間がいい人ってのは、個人単位で相手を理解し、理解しえた行動パターンをもとに、自分も行動できる。そのような人だと思うわけですが、これがまた難しい。相手を理解することもさることながら、じゃあ、自分が行動できるかというところもまた壁がある。
オレなんかは意外と自分に自信がないので、行動するということに臆病になりすぎるきらいがある。一歩遅れがち。逆に思い込みも激しいので、一歩早い。タイミングがズレズレになることが多いのですよ。あとちょっと早ければ、あとちょっと待ってればが多い。やたらに多い。タイミングを逸しまくってる。
まことに間がいい人になるのは難しく、人を理解し、自分が行動するということは難しいものであります。程よいタイミングで、程よい行動をとれる人になりたいものだなあ。難しい。