(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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自虐と適当の融合

基本的に何があっても自分のせいだと思っているんです。悪いことがあったときには特に。

あらゆることは自分のせい。原因は自分にあるし、結果は自分に来る。因果応報は自分に巡る。そういう発想で日々生きております。

人のせいより自分のせい - (旧姓)タケルンバ卿日記

とはいえ、あんまりこの発想で考えすぎると、日々が窮屈になることも事実。メンタル的にも良くありません。何でもかんでも自分のせいにすることで、精神的な負担がのしかかり、落ち込んでしまう。そうなっては意味がないですからね。あくまで考え方というか、生き方なので、それで明るく生きられないようになっては意味がない。
そこで自分の解決策というか、安全弁として持っているのはこれ。

「ダメだったら諦める」

諦めていいんですよ。ダメな場合は。

  • 仕方ない
  • しょうがない
  • またそのうち

この適当三訓です。ダメならダメで、しゃあないんです。できないものは、できねーんです。ベストを尽くしたら、それ以上はねえんです。それが「ベスト」という意味ですしね。最高とか最上って言葉には「最も」があるわけで、その上はないんですよ。だから仕方ないんです。
いくら自分が手を尽くしても、できないものはある。限界はある。なるべく限界は認めたくないし、あらゆる手を尽くしたいわけですが、世の中では自分の実力の限界や、時のタイミング、たまたま集った人間の能力と思考、偶然なんかにより、結果がいくらでも左右される。なので、こだわりすぎてもしょうがないんです。時には諦めも必要なんです。自分のせいとして考えるとしても、ここからは自分のせいじゃないというラインがあってもいいんです。そこが安全弁なんですな。
ここであくまで自分のせいと、踏ん張ってしまうと心を病んでしまうリスクがある。本当はベストを尽くして、上積みなんてないんだけど、とにかく頑張る。頑張るけど、結果には反映されない。「頑張る」には具体的な解決法はないですからね。単なる精神論なわけで。そうすると、どうしても心が磨り減ってしまうわけですよ。報われないから。自分を絞るようにして、最後のひと頑張りをしているわけですが、もう結論は出てるし、どっちみちベスト以上のものは出てこないわけでね。あったらそもそもそれ以前にやってるっしょ。
なわけで、時には適当さも必要なわけです。放り投げていいんです。できないときは諦める。ただ、その「できない」という結論を得るための「自分のせい」なわけですね。結論をうやむやにしないための。ベストに至るための。ただ、結論を得るための方法論と、望む結論が得られないときの方法論は別なわけです。望みが何でもかなったら、世の中に不幸なんてものは存在しませんからなあ。

「またそのうち」

但し、放り投げることが重要だからと言っても、放り投げっぱなしはよろしくない。適当三訓にあえて入れた「またそのうち」は結構重要な発想だと思っております。とりあえず諦める。放っておく。でも、生温かい目で見ておく。いつかタイミングがそろったときに、手をつける。そういう発想も必要だと思います。時間が経てば、自分のベスト値が上がっているわけですしね。そうなりゃ実現できる可能性も上がる。その時まで放っておけ、諦めろというだけで、全面撤退する必要はないんですよ。「とりあえず」放り投げておく。そして「とりあえず」また手をつける。そういう発想でいい。
「自分のせい」というある意味の自虐発想だけではなく、「仕方ない」の適当発想。自虐と適当の融合で物事を考えていきたい。そう思う次第であります、はい。