(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

惜しい負けの魔力

勝負事をやったことがあると、この話はよく理解できる。

「ギャンブルにおける惜しい負け(near-win、僅差の負け)」は、勝負そのものは負けたとしても脳内で「勝利」と同じような刺激・反応が行われ、ギャンブルそのものに対する欲求が高まる可能性が明らかにされた。

惜しい負け 脳は「勝った」と誤解して 「次は次は」と ドツボにはまる - ガベージニュース

ドツボにはまるパターンそのものだなあ。負けは負けなんだけど、勝ちと錯覚してしまうからこそ、もういっちょと。しかしきっちり手元のお金はなくなっている。負けという結果は残っている。脳内の満足度とは裏腹に、負けと結果は積もっていくと。ふうむ、なるほどねえ。
とんねるずのみなさんのおかげです」で、「デビルマン」のパロディー「デビルタカマン」ってコーナーがあったんだけど、この歌がふるっていましてね。

勝つまでやるんだ麻雀を

デビルタカマン - ニコニコ動画

これを思い出してしまうなあ。惜しい負けが続くと、勝つまでやりたくなるんですよ。で、勝つと満足するんだけど、それまでに負けがこんでるから、トータルすると負けてると。大負けする人の特徴。競馬とかパチンコにはまる人ってそうなんだろうなあ。「あともうちょっと」の積み重ねで千円札が燃えるようになくなっていくんだろうねえ。
……と思ったが、こりゃギャンブル一般だけじゃないやね。今、俺が絶賛はまり中の「カタン」なんかもそうだ。ゲームでもそうだね。惜しい負け方をすると、もう一戦という欲求が出るもんな。
あるいは仕事でもそうだ。シェア争いなんかはこういう面がある。「もう少しで追い抜ける」の罠。追い抜ける、追い抜けるで赤字が続き、撤退タイミングを失うとか。あらゆる勝負、競争に共通する心理ですのう。
逆に言うと惜敗をきちんと負けと受け止められることが強者への道なのかもね。負けを受け入れること。中でも惜しい負けをきちんと負けと受け止めること。惜しくても負けは負け。こう感じれることが重要なんでしょうなあ。

負けは負け

こういう潔さか。ふむう、難しいことだけど、真理なのかも知れませんね。