(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

変わりすぎず、変わり続ける

世の中というのは基本的に何でも進化しているもので、立ち止まっていると遅れをとる。同じ場所にいたつもり。まったく動いていない。確かに進んではいないが、戻ってもいないはず。でも、周りが動いている以上、相対的に遅れをとってしまう。自分以外が進んでいれば、とどまっていれば遅れる。周りが先に行った分、結果的に後ろに戻る。
よく老舗なんかで「昔ながらの味」という言い方がある。30年、50年、100年と受け継がれた味。いつ行っても高い品質。父母の代、そして祖父祖母の代から同じものをつくり、うならせ、そしてそのレベルを今をなお維持する。三世代が席を同じくし、一緒に食べても、みんながうまいと言う。昔と変わってないと言い、同時に、今も通用する味と言う。
しかしだ。「昔ながらの味」と「昔も今も変わらない」は両立しない。「昔ながらの味」を守るには、変化しないとできないものだし、「昔も今も変わらない」を維持しようとすると、「昔の方がおいしかったね」になってしまう。
何故か。

味覚は慣れる

人間の感覚、五感というのは何にせよ慣れやすい。同じレベルの刺激を受けると、その感覚が鈍化してしまう。味覚も同様。同じものを食べると慣れる。まったく同じものを食べても、慣れた分だけ旨みが感じられなくなる。味の感動レベルが下がってしまう。どんなにうまいものでも、繰り返し食べることで、おいしくなくなる。無感動の単なる「メシ」になってしまう。

食材は進化する

なんだかんだで進化しているものなのです、一般的な食材レベルは。もちろん昔ながらのやり方で作ってた野菜がうまいとか、卵がどうだとか、鶏肉が、なんて話はあるし、現実にそういうものもある。しかし、安価に入手できるもの、安定的に供給されるものの品質は向上しているのが普通。例えば小麦粉なんかは品種改良も進んでいるし、流通が良くなったおかげで、用途に応じて世界中から仕入れられる。食材そのものも進化するし、流通や経済事情、貿易関係などなどの理由で、食材を巡る環境は基本的に良くなる。
その恩恵を受けて一般化するものもある。ラム肉はそういう例。昔は羊といえばマトン。大人の羊が普通で、臭みというか、クセがあった。しかし今はラムが主流。子どもの羊。流通が良くなったおかげで、おいしいラムがチルドで輸入されるようになった。生ラムが食べられるようになった。このおかげでクセのない羊肉が食べられるし、ジンギスカン鍋のレベルも上がった。今じゃマトンのジンギスカンを見なくなりました。タレにドップリと漬かったマトン。あれはあれで個人的には好きなんですが、今や生ラムにすっかり駆逐されました。
このような感じで食材も進化する。調味料なんかも進化する。そうすると、あるものひとつを継続して食べていなくても、使われている食材レベルに味覚が慣れていく。戦後まもなくの小麦粉よりは、最近の小麦粉の方がうまい。専売公社時代の精製塩よりは、ちょっとした名のある塩の方がうまい(「伯方の塩」とか)。水なんかもそうで、地方はともかく、都市部の水道水は、昔より浄水技術が発達し、今の方がうまい。また浄水器も普及して一般的になっている。
このような質の向上は随所に見られるわけです。

「変わらない」の理由

となると、こうしたレベルの向上についていけないもの。あるいは変わらないものは、相対的に味が劣化する。昔ながらのやり方を守ることは大事だけども、その昔ながらの方法が、現代の方法より遅れをとっていれば、その方法は通用しなくなる。昔ながらのやり方が有効なのは、それを上回る方法が一般化されていない間であって、それより適した方法がある場合、ましてそれが一般化されている場合は、単なる頑迷さになってしまう。「変えたくない」という我がままだ。
意味のある「変わらない」と、意味のない「変わらない」の差がここで発生する。「変えたくない」だけの「変わらない」と、「変えるべきでない」の「変わらない」の差とも言える。何故「変わらない」のか、「変えない」のか。ここに理由があるものだけは、変化しなくても後退しない。他者に前に行かれないので、相対的に遅れない。理由がないもの、他者に先を行かれるものは、ここで遅れをとる。味で言えば、周りがおいしくなり、その味に慣れられた分だけ、うまみを感じてもらえなくなる。
「昔の方がおいしかったね」
同じものを作っていても、こう言われてしまうようになる。

老舗でも、常に何かは変わっている

逆に言うと、「昔から変わってない」と思える店というのは、常に時代の変化と同じスピードで、その店もまた変化しているということになる。その時代よりも一歩先に出たうまいものを提供しているのであれば、常にその一歩分のリードを守って前進している。他者との差を守ったまま、前に進んでいる。
また、リードしすぎてもいけない。他者との差をつけすぎると、その店が保ってきた味から逸脱してしまうことがある。変わりすぎると、その店の味ではなくなる。

変わりすぎず、変わり続ける

非常に難しいこの命題をクリアしている。調味料や食材そのものを見直したり、製法や保存の方法、組み合わせ、あるいは調理の技術、手間と人員のかけ方などで。時代の変化に合わせて、常に味を見直し、変えている。
変わらなく見えるものこそ実は変わっている。誰にも気付かれないけれども。白鳥の水かきのように、優雅なようでその裏側では日夜探求を行っている。変化を追及している。
そのような老舗に私もなりたい。常に変わらない姿で。時代に遅れをとらず、時代の進み方と同じ歩みを続けたい。変わらないように、変わり続けたい。老舗のように。昔ながらの伝統を守る店のように。