(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

無様でも構わない

無様さって、本質に対する理解なんだろうなあ。

重要な要素の把握。切り捨てていい部分と、切り捨ててはいけない部分の峻別。無駄な装飾と、必須の要件の理解。
そういうのができる人ってのは、無様にできるし、無様になれる。目的と手段を切り分けられるから、目的達成のために無様になれる。

番組の中で、英会話教育に取り組む企業が放映されて、「きれいさ」とは対極にあるような、単語をブチブチに切って、適当に並べただけみたいな、そんな英会話が教えられていた。

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/302

「意味が通じる」ということを目的にするなら、これでいいわけだよね。構文とか文法よりも、単語の方が意味が通じる。日本語に慣れない海外の方が話す日本語も、最初のうちは大抵単語を並べるだけだし。
「ワタシ、キタ、チュウゴク」
これで意味わかるもんな。「意味が通じる」という目的は十分達成されてる。無様だし不恰好だし、決してほめられたもんじゃないけども。
逆に無様になれない、きれいな、美しいやり方しかできないというのは、まだ本質を理解できてないことが多いような気がしますね。本質を理解できていないから変えられない。変えていいところがわからないから、変えられない。
何というか、知っている道を通らないと帰れないという状態に似ているというか。現在地と目的地がわかっているのだから、どんな経路を使っても目的地に到着するはずなんだけども、地形とか方角、位置関係、座標をしっかり把握してないときは、違う道順で帰れない。経路の把握があくまで道順。順序に従うことでしか家に着けない。順序把握だから、途中を抜かしたり、変更がきがない。
これは人に教えるときに露骨に出ますね。目的の達成を優先するならば、無様だろうがなんだろうが、教える対象にとってわかりやすい方法を教える。細い路地を行くと近道なんだが、大通りの方がわかりやすいので、そちらの道順を教えるように。地下鉄に乗り換えると早くても、山手線で大回りした方がわかりやすいならば、そっちの経路をすすめるように。
もちろんあえて難しい、面倒な、手間のかかる方法を教えることで負荷をかけるべき場面もある。あるけども、目的の達成が最優先される場面ならば、手段の是非は後回しされてもいい。医療現場はまさにそうなんだろうな。ミスして取り返しのつかないことになってはいかんわけで。
「できればいい」という割り切った姿勢が無様さとなるんなら、無様でいいんじゃないかなあ。無様さをむしろ洗練と考えたい。