(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

作成者の意図があるパズル

立体ピクロス、とりあえずデフォルトの問題を全部解き終えた。

立体ピクロス

立体ピクロス

やり終えての率直な感想は「おもろい」に尽きるんだけども、「さすが、任天堂が絡んでるだけあるなー」という部分がある。

解き味がいい

パズルって、完成したときの満足感が大事で、「できたー!」って感動を味わうためにやっている面があるんだけど、その過程の快感も大事だと思うわけね。ゴールの満足感だけじゃなくて、道中の快感。解けて「おもしろい」は当たり前で、解こうとしている間もおもしろい。これがいいパズルの条件だと思うわけさ。
そういう意味で、この立体ピクロスに収められているパズルは、解いてる間もおもしろいものが多かった。「いいパズル」と呼べる問題が多かった。「壊す」という演出がパズルゲームでありがちの作業感をなくしたのも大きい。ただ、個人的にこの要素が大きいのだと思ってる。

問題作成者の意思を感じる

自分はクロスワードパズルをつくる側を昔やってたんだけど、クロスワードパズルをつくるときは、とりあえず言葉をあてはめてパズルを完成させた後、自分でやってみるんだよね。で、つまづくところはないか。ちゃんと全部を完成させることはないか。パズルを解く流れと難易度をチェックする。
続いて洗い出した要素を元に調整する。流れが滞るようであれば、言葉を入れ替えたり、黒ブロックの位置を変えるなど微調整をする。設問が難しければ、設問を変える。そして再び自分で解く。確認する。流れと難易度のバランスが気に入るまで、この手順を繰り返す。
こういうチェックが行き届いている気配を感じるんだよな。パズル作成経験者として。

ヒントがありすぎない

初級の問題はともかく、中級以降の問題ではヒント過多で簡単になりすぎる問題があまりなかった。ヒントというのはなさすぎると難しすぎて、度胸一発で勝負する運ゲーとなり、頭脳で勝負するというパズル性を否定することになるんだけど、逆にヒントがありすぎてもどうやっても解けてしまう。簡単すぎてしまう。
この程よいバランス。「過ぎる」ことないバランスという意味でよく調整されている。

手詰まりにならない

マインスイーパなんかでよくあるのが、最後、ヒントだけではどうにもならなくなり、運頼りで一か八かの勝負をかけなければいけない場面。角の方でよく発生するあれ。これはパズルとしては美しくない。地雷の配置がランダムで決まるマインスイーパならともかく、人間がつくったパズルでこういう事態が起きるのは、パズル作成者としてよろしくない。パズルとして美しくないので、そういう美しくないパズルをつくる人ってどうなのよ? という話になってしまう。
パズル作成者は、こういう美しくない展開を避ける流れを意図的に演出するお仕事であると思っているので、こういう手詰まりを避ける必要がある。そういう意味で、うまく手詰まりを避けている。手詰まりに見えて、実はうすーく一筋の光が残るようになっている。

ひとつ解決すると一気に解ける

そして手詰まりに見えた状況から、一筋の光明を見つけ出し、そこを手がかりに進めると、一気に解けるようになっている。プレイヤーを限界まで悩ませ、あらゆる論理性を試させた後、そこからひとつ答えを導き出せば、必ず正解にたどり着けるようにしてある。運頼みしなくていいギリギリのバランスに調整してある。
またそれは運否天賦にかけず、マジメにパズルを検証し頭を使ったプレイヤーへの誠実な姿勢だしご褒美。きちんと解けば、きちんと正解にたどり着ける。パズル作成者のそういう考えを感じるんだな、うん。

初級は初級らしく、上級は上級らしく

そのようなパズル作成者の意図が反映されているので、どの問題も難易度がちょうどいい感じになっている。わかりやすく言うと、初級は解くルートが3本、中級は2本、上級は1本。そんな感じで難易度が設定されているように感じる。初級はどのルートでも結局正解にたどり着くが、上級が基本的に一本道で、どういう解き方をしても同じところでつまづき、ある発見がない限りは進めない。
そこで運に頼むか、3Dパズルの利点を生かし、図形的に「ありえない」と思える場所を削るか、あるいは純粋にヒントだけを頼りに解くか。そこはパズルを解く人次第で、解く人が試されている。パズル初心者でも楽しめるつくりながら、実はパズル上級者の精神性を試す部分がある。

初心者にとっては解きやすさ、上級者にとってはインチキ

運に頼ったり、図形判断で削るのってこういうことなんだよな。別にやってもいいんだよ。ただ、できる限り運に頼りたくない、ヒントだけで解きたい、己の実力だけでパズルを完成させたいと思う向きにはインチキに思えてしまうわけで。
そういうパズル作成者のパズル調整と、ゲーム製作者のゲームバランスという意図がふんだんに感じられ、なかなかおもしろく楽しめたのでした。