(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

ヤジェスターのススメ

「ヤジ」って難しいんだよね。いや、ホント。実はなかなか技術を要するものなんですよ。「良いヤジ」をしようとするとね。単にストレス解消でヤジを飛ばすだけなら簡単だけど、ヤジに効果をもたせようとすると、本当に難しい。
ヤジを飛ばされる経験をした人は心当たりがあると思うんだけど、ヤジってこれに尽きるんだよね。

ヤジはTPO

  • 時間(Time)
  • 場所(Place)
  • 場合(Occasion)

これなんよ。良いヤジってタイミングなんですよ。場面やシチュエーションに合った発言なんです。中身が一番なんです。それ以外の要素は枝葉末節なんですよ。ヤジを受ける側に言わせると。

ヤジは声量?

そんなことない。大声のヤジが良いヤジとは限らない。大声であれば、その発言が聞こえる範囲が広くなるし、それだけ伝わりやすくなるけども、その内容が伴わなければ意味がない。
ヤジを飛ばされる側として一番滑稽なのは、大声なのに中身がないヤジなんだよね。心当たりがないこと、主張していないこと、かけ離れた内容のヤジを飛ばされてもどうってことない。確かに大声というのは、大声というだけで威圧感を与えるものだし、数の暴力というものは確かに存在します。プレッシャーを受ける人もいるだろうし、プレッシャーを与えるために大声でヤジるというのは、古典的なヤジの意図としてありますな(例:総会屋)。
しかしながら、こっちも大声出しているときはあんまり気にならない。「大声 VS 大声」なら気にならない。同じ大声ならば、内容がある方が有利でしてね。「相手が正しいことを言っていない=自分が正しいことを言っている」という場面であれば気にならんのです。自信があれば跳ね除けられる。どんなに大声のヤジもBGMにしか過ぎません。「ああ、なんか大声で叫んでいるな。ワロス」程度のもんです。
ただ、逆を言えばこういうことなんだな。

内容があるヤジはキツイ

同じ大声であれば、内容がある方が有利。ということは、自分の発言よりも、ヤジの方に中身があると自分が不利なんです。当たり前ですよね。当然の話。
同じ大声であるならば、自分がより中身があると思える発言の方に心が動く。たとえ自分の発言中であろうと。ヤジの内容に思考を奪われる。「話す」という脳の動きが止まる。となると自らの発言も止まる。絶句する。こういう現象が起きる。自信がなければ弱気になる。自信があったとしても、それを上回るヤジであれば自信が打ち砕かれる。発言の拠り所を失った発言者なんて脆いもんですよ。切ないくらいに脆い。

ヤジのカクテルパーティー効果

また、大声でなくても内容があるヤジは聞こえます。聞こえてしまうものなんですよ。
発言者に弱みがある場合、その弱みに触れる発言は耳に入ってしまう。それは、その弱みに注意を払っているから。自分が弱みと自覚していることだから。認知している弱みに関しては敏感になるわけですな。
ヤジのカクテルパーティー効果って言うんですかね。

カクテルパーティー効果は、雑踏の中とかでも、聞こうと思っている対象物ならばそれを聞き取れるという効果で、言わば正の効果ですけども、ヤジのカクテルパーティー効果はその逆で、聞きたくない対象物の方が耳に入るという負の効果。「聞きたい」という意思が反映されて聞こえるのが正。「聞きたくない」という意思とは裏腹に聞こえてしまうのが負。こういう現象があるのではないかと思ってます。
現実に壇上でしゃべってて、「なんかみんなギャーギャー言ってるなー」「うるさくて聞こえねーよ」と思っていたのに、小声でぼそっと話されたことが聞こえてしまうことはよくあります。何故か聞こえる。聞こえてしまう。「小声でぼそっと」が意外と通る。そしてそういう発言にこそグサッと来る。結構的を得ている。図星です。まいりました。そのとおりなんです。ぐむむむむむ。

ヤジる人=ヤジェスタ

議論の場とかでこういう良いヤジがあると、議論がとてもエキサイティングになるんです。気が抜けない。常に発言の内容を精査される。弱いところがあるとヤジが飛んでくる。「うっ」と来る。それをお互いにやる。ヤジを飛ばしあうことで、ヤジを飛ばされない主張にしようという意欲が高まる。
だからヤジって大事なんです。良いヤジを飛ばす人は評価されるし、尊敬される。自分がやっているディベートの組織では「ヤジェスター」って言葉もあるくらい。

こういう感じ。よくサッカーで「サポーターは12番目の選手」という言い方をするけども、同じようなもん。ただディベートを見ているだけじゃなくて、選手として同じ目線、立場、思いで見る。見るだけじゃなくて参加する。それが応援かヤジかという手法の違い。
傍観者との違いでもあるな。ヤジで参加する観衆。それがヤジェスター。傍観者じゃないから、ただヤジを飛ばすだけじゃない。良いヤジを飛ばそうとする。内容を問う。声量だけで勝負しない。声量は内容を伴った上で付け加えるもの。大声で言った方がいいのか、ボソッと言った方が効果的なのかを含めて判断すべきもの。

ヤジってみよう

ま、ものは試しなんで、今度ヤジってみてください。ヤジが許されそうな場所で。ヤジを飛ばすだけなら簡単で、頭いらんけど、「良いヤジ」をしようとすると難しいから。
ただ、それをやってくことでヤジもうまくなりますし、ヤジを飛ばす対象への入り込み方が違ってきます。ある議論をヤジるためには、その議論に対する知識、見識なんかが必要になりますし。またヤジの良し悪しを問うことで、議論の良し悪しに対する理解も深まりますし、準備不足が如何に怖いかが身をもって理解できますしね。
以上、ヤジェスターのススメでした。友人や知人を失わないように、お手柔らかにね。「議論の後はノーサイド」「人格攻撃がご法度」の原則を忘れずに!