(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

継続の報酬

自分の記事を見返して、「これ、ホントに俺の記事?」って思うことがあるんですよ。別に「タケルンバ」って人格は分業システムでも何でもないので、うちにある記事は紛れもなく俺が書いたはずの記事なんだけど、書いた本人が見ても不思議な気分になることがある。
何かが変化してるんだろうけども、正直わからない。
気分とか環境とか、あるいは内面なんかも変わってるのかもしれん。当時は気になってたものが、今は気にならないとか。逆に当時は気にならなくても、最近はメチャメチャ気になるものがあるとか。あらゆる出来事とかを見る「俺フィルター」が違うから、見える景色も違う。
自分が成長した分、「青くせーこと書いてるなー」と振りかえれる面もあれば、逆に現状は退化して「おお、新鮮な視点だなー。この考え方はもうできんなー」ってものもある。良かれ悪かれ変わるってのは何かを手に入れ、何かを失うことなわけで、成長したなーと思って上から目線で過去を見下ろすこともあれば、むしろ過去の自分を見上げることだってある。昔より良くできると思う記事もあれば、もう書けないと思うものもある。
そういうのが時系列で残っているからブログって面白いんだろうなあと思ったり。5年も続けているからこそ、ウェブログのログとしての面白さが出てくるんだろうな。独立したそれぞれの記事だけでは、記事以上の何かを生み出さないが、それが積み重なっていくと変化や過程の意味を持ってくる。記録としての価値を持ってくる。
続けることのちょっとした報酬だよね。ささやかではあるけれど。