(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

事業仕分けの論点

さて事業仕分けの話だけど、こっちはちょっとマジメな話。いくつかの論点について書いていきたい。

仕分け人の資格

麻生太郎前首相は昼の麻生派総会で、「国会議員ならともかく、そうでない方々は一体何の資格で言っているのか」と述べ、民間人が参加していることに疑問を呈した。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009111200709

まあこういう話にはなりがちで、

亀井氏はさらに、モルガン・スタンレー証券ロバート・フェルドマン経済調査部長が仕分け作業に当たっていることを問題視。「事業仕分けは権力の行使そのもの。外国人を入れるのはおかしい」と、メンバーを人選した仙谷由人行政刷新相らを批判した。 

http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2009111100672

連立与党の内部からも、個人を槍玉に挙げやすいと。
ただ、ポイントとして、この事業仕分けは最終決定ではないわけよね。

「(仕分け人は)専門家としての考え方を述べているのであり(最終決定ではないので)公権力の行使にあたらない」

http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/091112/fnc0911121213021-n1.htm

しかし、行刷会議自体には予算を削減する権限はなく「判定」が実現するかは、鳩山由紀夫首相の指導力にかかってきそうだ。

経済、株価、ビジネス、政治のニュース:日経電子版

こういうところなわけで。決定権者じゃないわけよね、彼らは。
実際に今日見たところで言うと、「地方交付税交付金」の議論にロバート・フェルドマン氏も参加していた。で、この議論に参加していた評価者は18名で、とりまとめをしたのは枝野幸男氏。フェルドマン氏はその中の1票ではあるものの、意見表明をしただけで、ワーキンググループとしての結論を出したのは枝野氏。そしてこの結論を受けて、現実の予算としてどうするかは政府のお仕事。
つまり決定権者は他にいるわけで、その議論に資格の話を持ち込んでもアレだし、外国人だからとか、公権力ウンヌンの話もナンセンスに感じる。
またこの議論は完全公開されているわけで、彼らも発言如何によっては、民間人としての彼らの立場も危うくなるわけだし。それなりにリスクを負っているわけでねえ。大きな問題はないと思いますよ。これまで自民党の「なんちゃら審議会」に民間人も入っていたし、経済財政諮問会議なんて民間人が参加しているのに、結構な権限がありましたし(小泉・竹中時代を思い出してみよう)。

自民党が何言うか」という話です。はい。

議論の時間が短い

これは確かにあって、もっと話し合う時間が欲しい。欲しいが、問題点の洗い出しというか、叩き台としての効果を考えれば最低限の意味合いはあるのかなと。「乱暴」「拙速」という批判はまことにその通りであるし、やりすぎの面は否めない。

「けしからん。交付税事業仕分けの対象になるものではなく地方の固有の資産だ。1時間ぐらい(の議論)で判定できるものではない」

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/091113/lcl0911131530007-n1.htm

まあ、当然こういう声も出てくるわな。
とはいえ、その反面「迅速」であることも確か。まあそこはメリットとデメリットのバランスで、いくら速くてもデメリットが多ければ速さがマイナスに出るし、デメリットをメリットが上回るのであれば、速さによるメリットを享受できるわけだ。

交付税については、客観的で分かりやすい制度への改善や、政策誘導の中止などを訴える意見が目立ち、制度の抜本的な見直しを要求していくことで一致した。ただ、この日は交付税総額をめぐる議論はほとんど行われなかった。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&rel=j7&k=2009111300376&j1

時間の問題があるから、額の話まではできなかったけども、しかしそれでも「問題があるよね」「変えなきゃまずいよね」というところまでは話せるわけで。
とにもかくにもこれだけの事業を短時間でも第三者視点で議論するというのは、これまでの日本政治に前例がないわけで、短いし拙速だし、問題はあるけども、議論をしないよりはマシなんじゃないですかね。少なからず事業のいくつかに問題点があるのは明らかになったし、国民的な関心も巻き起こしているし。
議論の時間が短いことによるデメリットはあるけど、個人的には「議論している」のメリットの方が上回ると感じておりますよ。ま、これは価値観の問題。「デメリットの方が大きい」と思う人がいることに関してはしょうがないよね。

議論のシンプル性

これは「時間がない」の裏返し的に発生するメリットなんだけど、とにかく話がシンプル。話者には明確な話が求められる。
これは説明する官僚に対してもそう。ごまかしが効かない。俗に言う「官僚答弁」が出来ない。「前向きに検討します」で時間稼ぎはできないし、話を引き伸ばそうとしても「端的にポイントを」で回答を即される。

無駄に切り込もうと目を光らせる十数人の仕分け人に囲まれ、矢継ぎ早に質問を浴びせられる官僚は「まな板のコイ」の状態だ。「もういいです」と、説明を途中で打ち切られることもたびたびで、ときには「データを把握していないから答えられないでしょう」と強い口調で責められる。
「こらえて、なぶられて、1時間耐えればいい。どうせ結論は決まっているんだから話を聞こうとしない人になにを言ってもしかたがない」。ある官僚は、半ばやけ気味に吐き捨てるように言った。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091113k0000m010136000c.html

官僚視点ではこうなる。結論を得るための議論なので、結論を導かない話は切り捨てられる。情緒的な話が受け入れられないのもこのせい。

口火を切ったのは財務省の主計官だ。
教員研修センターは国が教員を1カ所に集める必要性は低下している。女性教育会館は議論を絞り込む必要がある」
蓮舫参院議員が「女性教育会館の稼働率は?」とたたみかけると、同館の女性理事長は「44%…」と小さな声で答えるやいなや反撃に転じ、「私の話も聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外だ」と声を荒らげた。
仕分け人の統括役の枝野幸男衆院議員は「目的を話したい気持ちはわかるが、(事業としての)効果があるかどうかだ」と切り捨てた。結局、女性会館は予算削減、教員センターと青少年機構は「地方か民間へ委託」との結論になった。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091111/stt0911112057026-n2.htm

まあ、これは極端な事例だけども、時間制限があることで官僚がごまかせなくなったという現実も、時間制限のデメリットとともに知っておきたい。

個別の事業の結果について

ある事業が廃止という結論になって、それは困ると。こういう決定をする民主党、政府はクソであると。そう言いたくなる気持ちはよくわかるし、自然な感情だと思います。当事者なら困るし、関心事なら憂慮するし、「日本の将来を考えて」それはまずいと言いたくなることもある。
で、また「数字しか見てない」という反論もまことにその通りで、事業の将来性とかをあまり考慮してない面もある。「未来を見据えていない」という批判も至極ごもっとも。
とはいえ、それは結論に対する批判なわけだ。ある事業についての結論が廃止である。その廃止という結論が気に入らない。なので、そういう結論を出したヤツはクソである。
であるならば、その原因をつくったヤツもクソじゃないとおかしいよね。お金がない。だから止めます。「何故止めるんだ」と批判するのはいいんだけど、その前に「お金がない」という状況をつくったヤツも批判されないとおかしい。結果が否定されるならば、その原因とか過程も批判されるべきで。
端的に言えば、じゃあ自民党の責任はないのかと。細川・羽田政権の一時期を除き、ずっと与党の立場にあって国政を運営してきた政党に責任はないのかと。そしてそれを選び続けてきた国民に責任はないのかと。そういう話にもなりうると思うわけ。「お金がない」という理由で事業を廃止せなならんようにしたのは誰なのか。
もちろんこれは「お金がない」ということを前提にした話。「お金ジャブジャブあるのに、なんで使わないの?」だったら話は別なんだが、少なくても前提を共有しているなら、批判対象も共有されないとおかしいんじゃないかな。民主党がクソなら自民党もクソだ。つい最近までどこの政党がずーっと政権を担当していたかを思い出した方がいいんじゃないですかね。

決定権者と責任

鳩山内閣では「政治決定」ってのがキーワードになっているんだけど、これはある意味正常な姿。何でかというと、官僚は有権者に選ばれていないから。選挙を経てるか経てないかの差がある。
なわけで、「選挙で選ばれた人が責任を持つ=政治決定」という考え方は正しい。だって、官僚は責任とれないだもん。犯罪として立件されない限りは、基本的に職を追われることはない。
だから、政治家がケツを持つというのは本来あるべき姿で、何の問題もないと考えております。決定をした人が政治を行い、その者は選挙によって責任を問われる。これが間接民主制の姿で、日本は間接民主制をとっているんだからこれでいいんです。衆議院議員は最長でも4年おきに責任を問われるんだから。それに引き換え官僚は基本的に定年まで職に就けるし、「肩たたき」があるクラスの人は楽しい楽しい天下り生活があるわけで(ま、これも早晩できなくなるわけだが)。
なので、行政刷新会議をつくって、そこで業務仕分けという取り組みを行い、メンバーを決め、結論を取りまとめ、その結論を受けて実際の予算をつくる。このプロセスの決定すべてに政治が関わり、責任が明確になっているわけで、わしゃそれでいいんだと思いますよ。
「オイコラ!」と言える相手が明確なだけ、今までよりマシじゃないですか。

今までよりマシかどうか

俺はマシだと思いますよ。問題点をあぶりだす仕組みがあるという一点だけでもおk。その問題点の検討レベルに難があるし、拙速であることは認めざるを得ませんけど、やらないよりはマシ。
で、結局は「やらないよりはマシ」の連続でいろいろと良くなるんじゃないですかね。「国が良くなる」なんてものに決定的な何かはなくて、「今までよりはマシ」「やらないよりはマシ」の蓄積だと思うのよ。
少なくてもこの政権以降、どの政権であってもこういう問題の洗い出しをやらなくちゃいけない。自民党が政権を奪回したら、民主党政治の問題点を洗い出すだろうし、その部分を改善しようとするはず。
で、現在は長く続いた自民党政治の問題点を洗い出しているわけで。それもこれも政権交代があったから。政権が代わったから、それまでの施策を再点検することになった。
それだけでも政権交代の意義があったと思いますし、「良いか悪いか」で言えば「良い」だと思っているわけです。もちろん問題点は山ほどあるし、民主党を支持できない部分も山のようにあるけどね。自民党を応援している部分もある。しかし「やらないよりはマシ」の意義を過小評価する必要はないのかなと。問題点がわかっただけでもマシですよ。
ま、政治ってのは生活に密接する話だし、それぞれの利益が異なるわけで、立場によって皆さん考え方も違うでしょうし、受け取り方も違うことでしょう。俺の考え方に相容れない人もいるだろうし。まあ、それはそういうもんです。

ここで資料を読み、各事業について自分で結論を出す。そして評決結果やコメントを見て、ワーキンググループと自分の結論がどう違うのか。同じなのか。そういうのを点検してみるといいと思いますね。
「もし、自分が仕分け人だったらどうするか?」
是非考えてみてください。

関連呟き

takerunba 「廃止して民主党はクソ」と言いたい気持ちはわかるよ。でもだ。それを言うなら「こんな予算でも廃止しなきゃいけない状況にしたヤツもクソ」とも言わないと。ある結果がある。結果を出したヤツを責めるなら、原因をつくって、放置したヤツも責められないとフェアじゃない。 link
takerunba なんというか、一部の過剰な反応は「問題の可視化」の副産物に見える。泥をすくって見せたら、泥をすくったヤツが怒られる。泥は昔からそこにあったのに。そして誰もすくわず、除去しようとしなかったのに。 link
takerunba 別に民主党を擁護するつもりはないが、クソをクソとしてわかるように見せただけマシ。あるものをないかのように振る舞うよりはいいよ。いずれ誰かがかたさなならん。その時が今来ちゃったというだけよ。もう先送りしてもしゃあないべ。 link
takerunba 「権力は腐敗する」というけど、今はその腐敗したものを可視化しとるわけよ。うわものは良く見えてた。しかし土台が腐ってたと。なら建て直さないとしゃあないね。誰かがやらんとね、というだけ。 link
takerunba あともうひとつ。事業仕分けは方向性であって最終決定じゃない。「廃止」とあっても「廃止が望ましい」であって、「廃止で決定」じゃない。 link
takerunba あくまで彼らは経済性とか効率性だけで判断している。天下国家の話はまた別。これからの話。削れる最大の話をしているわけで、すべて削るという話じゃないよ。 link
takerunba で、決定は政治がする。これは正常な姿。彼らは選挙で選ばれた。そしてこれからも選挙で責任を問われる。行為と責任がセットになってるからええんよ。ダメなヤツは次落とせばいい。 link

追記(2009/11/15 5:55)

パート2を書いた。

合わせてどうぞ。