国母の件について。
この話ってつまるところ、「公の場にはどんな服装が好ましいか?」という個人の価値観に集約されるのよね。で、個人の価値観故に人それぞれバラバラであり、それぞれが正しさを主張する。それぞれに正しいとすべき理由があり、その理由が正しければ、服装に対する結論=国母の服装アリナシも自動的に正しい。
でまた「正しい」と書いたけども、こんなのは個人の勝手なのよね。それぞれがどう感じているかというだけで。だからこそ価値観なわけだけど。この話の正しさは当人にとってのみ正しく、他人に対しては正しいとは限らない。他人の意見が正しいと感じる場合は、単に自分の価値観と同じであるか、似ているか、あるいはそういう思い込み・勘違い・とりあえずそういうことにしておけのどれか。
ま、要するに非科学の領域の話なわけね。反証可能性がない話。科学的検証ができない。再現可能性もないしね。類似の事例があった場合に同じような反応をする保証はないし(例:好みの異性が同様のことをした場合とか)、あるいはどこまで類似であるかどうかも一定ではなく、それぞれの感じ方に任されているわけで。
この話の「べき論」が代表しているのは、世間でも社会でも国でも世論でも何でもなく、単なる個人なんだよな。個人の意見。個人の意見が集まって世論に見えているし、何だか大きな声に見えているけども、バラバラの寄せ集め。集団としての意味がなくて、結果として集団となっている。そして集団としての力を持っている。
そういう単なる服装に対する価値観の話が、オリンピック参加辞退とかなんちゃらとか、謝罪とか何だとかになるのは、正直非常に滑稽なことで、見ていて笑えます。はいはい、キミがそういう意見なのはわかるけど、それを他人に押し付けてどうするね。キミは国母のナニで、どういうナニだからそういうことを言っているんだねと。日本国民というだけで利益当事者になっているつもりかねと。その当事者意識は素晴らしいが、もっと別のものにその当事者意識を使ったらどうだねと。そう思うのでありますよ。
実際、国母なんて私人もいいとこだしな。アスリートでしょ。競技者でしょ。彼に公の場の正しき振る舞いを求めても仕方ないと思うねえ。だって、そういうのを期待されているお仕事や立場じゃないし。そういう職業じゃない。「スノーボード 礼儀スタイル」で出場するわけじゃないんだし。彼にそういう正しき振る舞いを期待しているのは、個人の価値観に過ぎませんよ。
で、もし彼にあくまでそういう役割を期待するなら、常日頃から彼に公金を渡して、公の立場にあるメリットを与えてやらんとフェアじゃないように感じるね。待遇があってこその立場でしょうよ。御恩があってこその奉公じゃないですか。彼に何もしてやらずに、一方的に彼に何かを求めるというのはワガママだと思いますね。フリーライダー、タダ乗りです。
というわけで、わしゃ彼に何も望みませんし、何か特別なことをすべきだとも思いません。彼もまた同様で、日本に対して何かをする必要はないと思いますな。普通に競技に出場して、いつも通りにやっていただけたらいいんじゃないでしょうか。どうせ「世間」はメダルを取れば手のひら返し、メダルを取り損ねば「だからあいつは」の批難祭りになるでしょうし。競技通りフリースタイルでいいんだと思いますよ。自由にどうぞ。