(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

意図が芸を生む

別に奨励してもいいと思うよ。

そこに意図があるなら。
芸人は「芸をする人」で、お笑い芸人は「笑いに関する芸をする人」なんだから、笑いがとれるなら不幸自慢だろうが、努力自慢だろうがおk。そういう意図でやろうとする限りはいいんです。問題はだな、「言いたいから」「語りたいから」の場合。それだとアマチュアなの。お笑い芸人として。そこに職業意識がないから。無目的だから。
「笑いをとろうとして」ならいいんだわ。結果的に笑いをとれなくても、それは実力不足ということだから。「お笑い芸人」という役割は果たそうという意思はあるから。プロとしての意識はあるわけよね。最低限。
しかしそれがないとなると、あなたは何をしているのかっちゅう話になる。モノを売るのが仕事を人がモノを売らないとか、モノを売ろうとしないとか。そういう話になっちゃう。結果はまた別として、意図の有無はプロ意識の問題なのよ。
それにだ、

自分たちが他人よりしんどい思いした、一番努力してきたというのを、無自覚に人に話をしてしまえるのは、やっぱり格好悪いことでしかない。

芸人の不幸自慢と努力自慢は禁止するべき - 昨日の風はどんなのだっけ?

こういう意見が一般的であればあるほど、これを格好良いことにした場合のメリットって大きいわけだし。誰も手をつけてない宝の山でしょ。芸人としてのタブーって、他の芸人がやらないからタブーなわけだから。独占的な利益を手に入れられる。
「不幸自慢芸」でも「努力自慢芸」でもやればいいんだ。それをお笑いにしようとする意図があれば、そのうちそれは磨かれ、笑いがとれる芸になるだろうし。「どうすればより笑いがとれるか」という芸の探求につながるだろうし。逆にたとえ笑いがとれたとしても、意図がないのはダメなのよ。それは芸人としての役割と違う。「たまたま」の現象にしか過ぎないわけで。プロが偶然に頼っちゃいかん。必然に変える工夫こそが「芸」なわけでね。
意図こそが芸を生む下地だと思いますよ。