(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

身の丈経済への転換

「昔の好景気の理由」を考えるときに思うのは、実は日本は金融的に成功していたんだなあということですね。

年功序列・終身雇用

「ある人にお金を貸そう」ということになった場合、このコンボは実に都合が良かった。
年功序列で、給料はわずかずつとはいえ増えて行く。少なくても減ることはない。ウン年後の収入は、現在の収入プラスアルファであるということが確実。収入が減ることがないから返済スケジュールが将来的にきつくなることがなく、貸し倒れリスクが低い。
終身雇用のため、定年前にいきなり無職になることはない。正社員という立場、終身雇用というシステムが事実上の担保になった。「○○の社員」とか「公務員」という肩書に信用があった。
また定年制があるため、定年になるまでの年齢までの生涯賃金が計算できる。現在の賃金に毎年の給与増を加味し、定年までの年数をかければよく、その人に貸せる最大額を割り出しやすい。
返済スケジュールと貸出最大額を計算しやすく、おまけに「肩書」という担保がある。先行きどうなるかわからない事業に貸すより、事業とは何の関係もない「普通の人」に貸す方がリスクが低い。そしてその「普通の人」はそれこそごまんといる。あとは家とか車とかのお金の用途さえあればいい。
「普通の人が家を持つ」という夢は、こういう裏付けがあったからこそ可能な話で、そして可能だったからこそこぞって家を手にしていたと思うのですよね。ローンを組んで、家を買って、車を買って。将来的な収入をあてこんでも大丈夫だった。
ところが、これが崩壊するとどうなるか。

給料が増えない

年功序列がなくなると、給料が減るリスクが出てくる。今年の収入より、来年の収入が下がるケースが出てくる。
そのため将来的に返済スケジュールが滞るケースが出てくる。貸し倒れリスクの増大につながる。

収入の保証がない

いつ仕事がなくなるのか。その身分の保証がなくなった。つまり肩書が担保ではなくなった。「正社員であること」だけでお金を貸せない。肩書以外の何かがお金を借りるのに必要になる。
またその人が定年までに最低いくら稼ぐだろうかの計算が立ちにくく、貸出最大額が保守的になりやすい。
「普通の人」にお金を貸せない世の中になってしまったわけですな。長期ローンが難しくなった。長期的な金融が組めない。
ということは、現物経済になっちまうわけですよ。現金ですよ。キャッシュですよ。今ないとダメなんですよ。将来手に入る保証がないから、先をあてこむことができないんですよ。ウン年後まで見越した買い物が成立しないのですよ。単なる「普通の人」ではね。「普通の人」に信用がない。「普通の人」金融が崩壊したんです。「正社員」という担保がなくなったことで。
となると「身の丈にあった生活を」という話になるのが健全というもので、「毎月の収入の範囲内で」という消費行動になる。家なんか夢のまた夢だし、車もちょっとと。「若者のなんとか離れ」になるのは当たり前で、将来的な収入に期待できないんだから、毎月のキャッシュフローでやりくりするしかない。
「宵越しの金は持たない」は「宵越しに金が来る」からアリなわけで、先がない人がやるのは単なる無鉄砲。ということを考えると、今の日本ってかつての不健康な江戸っ子気質を全力で解消しようとしている状態なんだねえと。メタボ状態を食事制限で治そうとしているんだねと。同時に他の国があれやこれやしとるなか、現物経済でこの規模なら、実は日本は凄いんじゃないのかねとも。中国なんかは国全体で「宵越しの金は持たねえ」感じだしな。将来利益を期待しまくりだし。
まあ、カロリー過多な食事を楽しんでいると、カロリー制限食がおいしく感じられないのは自然なことで、「夢よもう一度」「バブルよもう一度」的な話になりがちなのはわかりますけどね。身の丈にあった生活を志向している一般的な消費動向は、かなりヘルシーな現実をとらえていると思いますね。だってそうせなしゃあないもの。

パートでさえ定年制がしかれ、何歳まで働けるかわからなくなっていく現実があるわけだし。しゃあないね。