(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

議論を成立させる単純なルール

「議論できねーヤツが議論しているから」というマジレスはありでしょうか、なしでしょうか。

まあ、それは暴言としてもだ、基本的にはツールのせいにするのはどうかと。場とか道具とか環境のせいにしてもはじまらん。そのツールや場や道具や環境のもとでも機能する状況があるのならば、きっとそれ以外の要因によって議論にならなくなっているはずなわけで。
Twitterでも議論が成立することがある以上、議論が成立しないのはTwitter以外に問題があると考えたいのよね。もちろん、このまとめの表題にあるように、「向き・不向き」の話なわけだから、ツールとして向かない可能性はあるんだけども、ツール自体に問題がなく、使われ方に問題があるのならば、その問題点を修正すればいいだけのことだしね。Twitterの向き・不向きではなく、その使われ方の向き・不向きじゃねーのかと。
「まともな議論」を成立させるには、いくつかのルールが必要なのよね。

発言の機会がある

発言できる。単純だけど、これがないとはじまらん。逆に言うとだ、
「発言の機会がない」
これだと議論にならない。ま、これは当たり前か。しかしこうすると心当たりがあるんじゃないかな。
「発言させない」
一方的にまくしたてる。片方がしゃべっているうちは、もう一方はしゃべっても意味がない。何故なら、話す相手が話しているから、聞いてくれる大勢にない。
つまりは、議論参加者にとって話す機会があり、同時に議論参加者が聞く姿勢をとってくれないと議論は成立しない。

発言を聞いてくれる

「発言できる」という単純なルールを設けると、当然にこのルールも必要になるのよね。議論を成立させる上で、最もシンプルなルール。

「参加者は話すことができるが、話を聞かねばならない」

まあこういうことなんだな。
ちなみにこれが成立しない世界を「口喧嘩」と言う。んなもん、議論でもなんでもなくて、単なるケンカな。

反論の機会がある

で、ここからは細かい部分の話。発言の機会があるとはどういうことかというと、反論の機会があるということなんです。反論が可能であるということなんです。
口喧嘩の何が問題かと言うと、反論させないわけですよ。一方的に言葉を投げつける。また、テレビ的な議論で問題となるのは、反論の機会が用意されるかどうか、議論参加者にとって必ずしもわからんことなんですよ。「朝まで生テレビ」なんかだと田原総一朗のさじ加減ひとつなわけで。
そういう場合にどういう現象が起こるかというと、「人の話に割り込んだ方が得」になってしまうんですね。割り込んで、人の話を妨害したとしても、反論しておいた方がいいと。後で反論できるかわからんのなら、今のうちにしてしまえになる。
こうなってくると、議論というより、瞬発力勝負のアクションゲームになってきます。モグラ叩きみたいなもんですわな。そして声が大きい人有利の大声勝負にもなってきます。話の内容がどうであるかなんて、どこかに飛んで行ってしまいますよね。
それを防ぐには反論の機会があることを、議論参加者が理解する環境が必要。その場で相手に口を挟まなくても、きちんと時間が与えられて、その時間内で反論すればいいと。少なくても「後で反論できないかも知れないから、今しちゃえ」と思わては議論が成立しまへん。

反論しなければ承認

また、反論の機会が保障されているからこそ、話が積み上がっていくもんです。「反論の機会があるのに反論しない」場合、通常は、その意見を認めたととられます。問題がない。だから反論しないんだと。
こうなりますと、その手前の話が下地になって、次の話に展開していくわけですね。少しずつ話がつながっていくわけですよ。
Aの話があって、Bという反論があった。Bを受けてCという意見を出したところ、それには反論がない。
こういう場合に、議論参加者の中で、「Cは問題がない」という共通認識が生まれたと考えられるわけですよ。反論がない以上、そういうことなんです。そしてこの共通認識という前提のもとで、以降の議論が展開していく。
共通認識が生まれるというのは、議論を先に進める上で必要なことなんですよ。何に問題があって、何に問題がないのか。その絞り込みをするときに有効なわけですよ。それがあるから、議論の焦点が狭まるわけでね。
反論できる機会があることで、反論しないことの位置付けが明確になる。これが重要なことなんです。

ルールが守れない人は?

議論ができないダメなヤツという解釈でいいでしょ。議論と口喧嘩を混同しとるというか。ま、エンターテイメント性を求めると、違う解釈もあるんだろうけどね。
アメリカの大統領選挙なんかだと、候補者がテレビディベートで論戦するんだけども、少なくても、ここに挙げたルールが守れないようだと、コミュニケーション能力欠如という烙印を押されますわね。議論の能力とは、人に話しかける能力だけではなく、人の話を聞く能力でもあるので。
同時に、聞く姿勢なんかも問われますよね。反論されたからといって、イライラしてたりすると減点。高圧的な態度とかもダメ。
議論にはルールが必要だからこそ、そういう目で見られますよね。

Twitterではどうすればいいか

Twitterで議論を成立させるには、言葉のキャッチボールになるように、ターンを意識しないと難しいんじゃねえかなあと。個人的にそう思っております。
Twitterには140字という文字制限がある。140字で言い切らないことも多い。まして日本語の場合、文の最後の最後まで読まないと、YesかNoかわからない。「……とは言えない」みたいにひっくり返せるからな。ひどいヤツだと、会場の反応を見て、最後の最後で意見変えるヤツもいるし。話のクライフターン。
なわけで、「話はまだ終わってないよ」というのがわかるよう、文末に「(続」をつけるようにするとか。あるいは「俺のターンは終わったよ」を伝えるために、「(終」をつけるとか。そういう工夫はあってもいいのかな。継続なのか終了なのかを明示してもいいんじゃないかな。
あとは相手のターン中には発言しないこと。そういう人を尊重する態度が必要だと思うよ。待てないヤツはどうかなあと。待つこと重要。ひとしきり待ってから、自分のターンを始めてもいいんじゃないかな。
……もっとも、こういう部分がアレな人が多いように見受けられるから、Twitterでは議論が向かないように見えるんだけどね。ま、ほっとけ、ほっとけ。
あ、最後に。これは絶対守ってね。

議論の内容と人格は切り離す

人が何を言おうと、議論と人格は切り離しましょう。人格批判はやめましょう。批判するのは相手の議論、主張の内容に対してのみ。相手自身を批判するのはやめましょう。
これができないとケンカになります。あ、だからTwitterでは口喧嘩が多いのか。
最後にルールをまとめます(日高義樹の「ワシントンリポート」調)。

発言の機会がある
発言を聞いてくれる
「参加者は話すことができるが、話を聞かねばならない」
反論の機会がある
反論しなければ承認
議論の内容と人格は切り離す

以上。まあ、みんな仲良くやれや。