「いい話」の見分け方
たまに来るんだよ。
「いい話があるんだけど」
基本的には「いい話などない!」と一刀両断してやりたいところなんだけども、確率的にゼロとは言い切れないので、本当に「いい話」と、そうではない話の見分け方。
あまり親密ではない知り合いからの話はアウト
無条件でアウト。「連絡が途絶えてたヤツからの久しぶりの連絡」に当たりはない。こんなもん自分の立場で考えてみりゃわかるけども、知り合いに「いい話」を伝える場合、あまり仲良くないヤツを優先するわけないでしょ。親密ではないヤツは後回しにするでしょ。
つまりそれは「いい話」じゃない。当初はいい話だったとしても、自分に来た時点では出がらしと考えると吉。
親密ではない知り合いからの話=その知り合いにとってのいい話
であることがほとんど。下手な知り合いよきゃ、まったくの他人の方がよっぽどマシ。
親戚関係の話は話半分に
お金に限らず、お見合いとか結婚とか、そういう「いい話」が持ち込まれるケースがあると思うんだけど、大抵の場合は持ち込んだ人の関心基準の話で、自分にとってメリットがあるかどうかは定かじゃない。
親戚関係からの話=どうでもいい話
自分には自分のタイミングがあるはず。関心がなければ断るとべし。
断りにくい話には裏がある
本当の「いい話」ってのは、それが「いい」だけに受け入れる人多数なわけよ。自分が断ったとしても、それを受け入れる人が必ず見つかる。メリットがある話には誰かが乗るもんです。
なので、そういう話を持ってくる側としても、別に目の前の人である必要はないわけね。しがらみとか、それまでの縁とか恩とか人情とか、あるいは単なる偶然とか、話が持ち込まれる過程はそれぞれだけれども、本当に「いい話」であればあるほど対象を選ばない。
逆に「いい話」でなければないほど対象者を選ぶわけです。落とすヤツを計算に入れ、その対象者を確実に確保しないとヤバいわけです。そしてヤバいからこそ、断りにくい環境を周到につくるわけですね。利用するわけですね。むしゃぶりつくすわけですね。
断ると怒鳴られる話
こうなると100%アウトです。「怒」という感情は、相手を威圧してコントロールしようとするための道具なので、怒ってコントロールしようという意図が見えるだけでもう怪しい。少なくても五分の関係じゃないよね。怒る・怒られるの上下関係に持ち込もうとしているわけだから。
断りにくい・怒鳴られる話=自分にとって都合の悪い話
「いい」要素なんて何もないよ。断りにくい環境をつくる・怒鳴るってことは、向こうが断られると困る・怒鳴らないとダメと判断しているということだから。適当なこと言って逃げると吉。
「いい話」なんてあまりないよな
まあ、大抵の場合、「いい話」ってのはデメリットを伴なうもんです。世の中にメリットだけのことってないよ。そんな都合の良い「いい話」って聞いたことないし、そういう話があったら人にまわさず、自分でいただくよね。
なので「いい話」は「よくなりそうな話」として考えた方がいい。既に良い話を持ち込んでくるヤツを信用しちゃダメだぞ。もう既に良いものは朽ちるだけだからな。
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