(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

「見る」と「見てる」

まあ、しゃあないわな。

テレビって基本的に完パケメディアだから。見る側は放送局から流されるものをただ見るのみ。
視聴者ができることって、せいぜいチャンネルの選択くらいなもので。放送されるものそれ自体に与える影響は皆無に近くて。この程度のテロップすら回避できないわけでね。
「見る」という積極的な視聴向きなツールではなくて、「見てる」という消極的な視聴向きなツールだということでもあるのかな。「見たい」ならもっと向いているツールがある。例えば映画なんかはそうだし、ホームシアター設備までいかなくても、DVDなんかはそれにあたるのかな。あるいはYouTubeとかニコニコ動画とか。ニコニコ動画ならコメントなんかによって、他のその他大勢と一緒に見ている感覚も得られるし。それが邪魔ならコメント消せるし。便利だの。
もちろん「見てる」にもメリットがあって、受動的な視聴だからこそ、ダラダラと見ていることができるし、「ながら」もできる。テレビ見ながら他のことができるということは、「テレビを見る」という行為には能力はあんまり必要ないからで、だからこそテレビ視聴以外のものに能力を振り分けられる。つまり「ながら」ができると。

人間誰しも歳を取ります。
そして脳の働きはどんどん衰えるので、認知症といった問題も起こりやすくなります。
しかし趣味を持ち、それに熱中する人は、ボケの進行がかなり遅くなるという研究結果が出たそうです。
ただテレビの視聴はそれには含まれず、むしろテレビを見ることはボケを進行させるとのことです。

テレビを見るとボケが進行し、テレビゲームをするとボケ防止になることが判明:らばQ

もっとも「能力を使わない」からこういう弊害もあるわけなんだが。
「見たい」ものがあるときに、テレビを使うというのは、「見たい」という願望を叶えるためには不向きである。テレビは「見る」ためにメディアではなく、「見てる」ためのメディアだから。
この思いを強くしたのでした。テレビってもはや瞬間消費財だな。