(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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被災地の今を訪ねる (7)

被災地の今を訪ねる (6) - (旧姓)タケルンバ卿日記 より続きです。
女川を出て、ひたすら海沿いに北上する。このあたりは似た様な地形が続く。山を登り、下っていくと入江が見える。入江を出てしばらくするとまた山になり、また海に出る。リアス式海岸特有の地形。
そしてその地形は、同じような地形であるがために、同じような被害を受けていた。平らな部分はたとえそれが海から離れていても津波に襲われ、高台はそれがいくら海に近くても被害を免れていた。

河口部や、海にほど近い河川沿いはほとんど被害を受けていた。

ダンプが多く見られ、土砂などを運んでいた。

また、このような仮設のコンビニエンスストアも見かけた。

見ての通りのプレハブであるが、中はれっきとしたコンビニで、品揃えも通常の店舗とそう変わりはないようだった。何はともあれ、道路という陸上輸送路が復旧し、物が動く体制が整ってきたことの恩恵なんだろう。

コンビニの周囲もまた津波被害を受けたようだった。このような光景を被災地では多く見かける。山肌を津波で削られ、ギリギリで残った山林は、津波の塩分の影響などで立ち枯れていた。素人目に見ても、地すべりの危険性があるのは明らかだった。

トンネルの入口があったところに、コンクリートが崩落していた。本来このコンクリートは、トンネル手前の山の斜面にあったもので、引き波の影響か、周りの斜面が削られたかで、手前側に崩落したのだろう。
三陸地方には海沿いを走る鉄道路線があったわけだけれども、果たして今後これをどうするのか。手付かずのままになっているところもあったし、線路の撤去などが進んでいる場所もあった。
再び同じ場所に通すなら、これまで以上の安全対策に向けた備えが必要だし、移設するならどこに通すのかの結論が必要。では駅はどこに? いや、そもそも駅を使う人間、地元の人間が住む場所はどこにする? 国道沿いにはまだ多くの仮設住宅が残っている。

これもまた国道沿いの光景だった。テレビで見た光景が、今もなお残っていた。そしてまた北に行けば行くほど、復興作業が進んでいないのも明らかだった。南相馬の状態は十分に衝撃的であったけれども、ある程度は人の手が入り、まだ不十分ではあるにしろ、作業が進んでいる気配を感じさせたが、北に行くほどその気配が消える。
仙台より北、三陸地方ともなると、手付かずというか、放置の状態が続いている地域が目立つ。畑はどうするんだろう。田んぼは。治水や地すべりといった防災対策も必要であるし、港にも手を入れなければならない。
震災から1年半以上の時が経過し、やっと片付けが終わった。作り出すのはこれから。これが現地を見ての印象。これまでも大変だったことだろうけども、本当に大変なのはこれから。人出もお金も時間もかかる。
そういう意味では、現状はまだ復興のスタートライン。
支援すべきはこれからだ。
(おわり)