(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

ブログの価値と「ミスター・マーケット」

「ブログが来る」とか「来ない」とかの話を見ていると、ベンジャミン・グレアムウォーレン・バフェットの寓話によく登場するミスター・マーケットみたいだね。

グレアムの好きな寓話は『ミスターマーケット』という毎日株主の家のドアの前に現れては、毎日違う価格で株の売買を持ちかけてくる親切な人物の話である。ミスターマーケットによって提示される価格は、しばしば妥当なように思えるが、それはしばしば馬鹿らしい価格のときもある。投資家は、彼の提示した価格に同意し取引してもよいし、彼を完全に無視してもよい。いずれにしろミスターマーケットは、翌日も他の株式の価格を引き合いに投資を持ちかけてくるのだ。

ベンジャミン・グレアム - Wikipedia

恐らくブログの価値というのは、そうそう変動するようなものではない。文章や画像をインターネット上で表現できるツールというだけ。ただのツールであり、道具に過ぎないわけだけれども、そこに各人の思い入れとか、関わりあい方があり、それにおいて都合の良いブログ像が生まれ、そのブログ像に導くための論理であるとか、誘導などがある。いわゆるポジショントークなども。
しかしながら、それはミスター・マーケットが毎日株の売値を上下させるようなもので、自分以外の誰かが勝手に行う。「自分自身とブログ」に関しては一切の関わりあいがない。誰かが勝手にブログの評価を上げ、誰かが勝手に下げる。そしてある日において評価を上げた人が、今度はある日において評価を下げる。そしてその逆も。
実際のところブログの価値を決めるのは、「ブログを通して何をしたか」であって、自分の欲望を満たす道具として機能したかどうかに尽きると個人的に思っている。「来る」「来ない」という他力本願的な何かとか、流行的な何かで欲望は満たされることはないし、むしろそういう方面に関心を向けすぎることで、いつまでたっても満たされない欲望に悩むことになりゃしないかねと危惧する。
ブログに限らずあらゆるサービスは、使っていれば何かしらの利益が発生するような装置ではなくて、何かしらの利益を発生させるために使う装置だと思うんだけどもね。「使う」のか「使われる」のかの差にもなりかねない。
何かおかしなことになってないかねえ。