なんかモヤっとした。
前提として、パパラボ家では、妻に家事、育児のベースを持ってもらっている
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この前提がおかしいんじゃないんですかね。
私が何かをやることで妻の負担を減らしているという図です。
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この構図がおかしいんじゃないですかね。
「きみは、私の負担を軽くする方向では動いてたけど、私の不自由さに歩み寄ることはしなかったよね。」
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これ、俺が意訳するに「替われや!」だと思うんですよ。「交替しろや!」だと感じるんですよ。
求められているのは負担の「シェア」ではなく、「チェンジ」だと思うんだよね。「妻が負担する」という前提を変化させないと。そこが不満の根源。
同じことをずっとやっていると「なんで私だけ?」みたいな気持ちになることがある。そのとき目の前の人間が何もやっていないことに気付くと、「お前もやれや!」になるわけですが、それは時に「手伝え!」ではなくて、「替われや!」なんですよね。仕事とかでもそうでしょう?
「不自由さに歩み寄る」とは、不自由な立場を入れ替える努力。たった一日でもいいから家事をする。家事や育児を経験することで、如何に大変なことをしているかを理解し、そのことに感謝する。
「毎日こんな大変だったんだね」「ありがとう」
これで救われることも多いんじゃないかなあ。
以上をもって家事に帰ります。