続々・被災地の今を訪ねる(3) - (旧姓)タケルンバ卿日記 より続きです。
浪江町役場前のローソンを出て、国道6号線を北に向かいます。
ここからは昨年、一昨年も通った勝手知ったる道。変化を見比べて行きます。
まずは常磐線の様子を見ていきます。
常磐線は相変わらず不通区間があります。とはいえ、不通区間は短くなりました。
2013年11月12日
昨年、浜吉田駅で撮影した路線図。
2013年11月12日
広野駅まで不通でした。
2014年11月11日
こちらは今回浜吉田駅で撮影したもの。
2013年11月12日
昨年の桃内駅の表示板。
2014年11月11日
線路などには全般的に人の手が入った様子はうかがえません。
1年という時の経過は、草木の成長という目に見える変化を伴い、廃れた印象を与えます。
続いて磐城太田駅の付近へ。
2014年11月11日
このあたりは比較的人の手が入っている様子がうかがえます。定期的に草刈りをしているようです。
続いて磐城太田駅へ。
2014年11月11日
こちらも大きな変化はありません。見た目に変化がない程度には定期的な管理をしているということなのでしょう。また、桃内駅と比較して、より復旧の可能性が高い場所にあるということも影響しているかもしてません。南にある。即ち福島原発に近い方が復旧は先になるでしょうから。
常磐線を離れ、今度は南相馬市の沿岸へ。
2012年10月24日
一昨年の時点ではあちこちに海水が残り、海水を受けた草木は枯れていました。黄色や茶色の風景が一面に広がっていました。
鮮やかな緑色の風景がある。一見当たり前のことかもしれませんが、こと、被災地の沿岸部にとってみれば、それは大きな転換で、大地の復活とも呼べる出来事です。
南相馬市では空いている土地にひまわりや菜種を植えている取り組みをしているようでした。こうした取り組みが少しずつ成果を出しているのかもしれません。
2014年11月11日
廃棄物処理施設は一定の役割を終えたように見受けられました。瓦礫が、ゴミが、車の山がなくなっており、処理プラントが処理していているものも、土砂の選別というレベルになっていたからです。
2012年10月24日
こういった廃木の山もありませんでした。山はいくつかあるものの、それは残土の山。廃棄物処理という段階はやはり終わったのでしょう。
2012年10月24日
そこかしこに漂流物などが残されていた一昨年と比べると、違いは明らかです。
続いて原町火力発電所へ。
2014年11月11日
壊れていた水門は相変わらずのまま。
しかし砂浜はすっかり整備され、平穏さを取り戻していました。元々この場所は海水浴場なのです。
サーフィンを楽しむ人の姿もありました。時が経ち、やっとレジャーを楽しむことができる日常が戻ってきたのでしょう。それは何よりの変化でありました。
(つづく)続々・被災地の今を訪ねる(5) - (旧姓)タケルンバ卿日記 へ