(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

類は友を呼ぶ

最近、元パートナーからどうでもいい電話がまたもやよくかかってくる。でもってその電話の内容が「ジュテーム」とか「ウオアイニー」とか「あなだがチュキだかだー(@チャン・ドンゴン)」ならともかく、どうしようもない話ばかり。

そしてオレが回答すると「そうそう、それそれ。ありがとう、じゃあね」とガチャ切り。
……コシティを思い出さなきゃいけないシチュエーションに遭遇しとる元パートナー。幸せそうで何よりだ。どんなだよ。

タケルンバ英語事件簿

英語ができねえクセに英語を駆使するタケルンバである。インチキ英語のクセに度胸だけはあるので、今まで様々な場面を切り抜けてきたが、今考えるとヒヤヒヤものである。

式根島にて「温泉はどこですか?」

高校のとき、伊豆七島式根島への旅行でのこと。海中温泉があるということなので行ってみようということになった。で、出発したものの、なかなか見つからない。で、そうこうしているうちに日が暮れてきて、にっちもさっちもというありがちなパターン。
仕方ないので地元の人に聞こうと、大きめの家に入っていき、呼び鈴を押すと、よりによって白人のご家族が登場。式根島で道を聞こうと入った家が偶然海外の方在住というネタ作りの旅としては類を見ない鬼ヅモっぷり。
「やべえ」と思いつつもこっちが呼び鈴を押したのである。相手はこれ以上ない笑顔である。ここは聞くしかねえと思い、英語でのコミュニケーションを試みる。しかし学年でどん尻の英語力を誇るタケルンバだ。肝心の海中温泉の英語訳が出てこない。「オンセーン、オンセーン」じゃ通じない。当然「アチチ、アチチ」でもダメだ。そこで迷った末に出した言葉。

  • 「ホットウォーター イン ザ シー」

温かい水は海の中なんですよ、奥さん。チューブにおける「シーズン・イン・ザ・サン」みたいなもんなんですよ、奥さん。
しかしこれで通じるのだからインチキ英語恐るべし。困った時は単語をつなげろだ。

マカオにて「ロッカーが開かないんですけど」

マカオが中国に返還されたまさにそのとき、タケルンバマカオにいたのである。ポルトガル領としてのマカオと、中国に返還されたマカオをハシゴしてたのだ。
でもってマカオから香港へフェリーで戻ろうとしたときのこと。コインロッカーに入れておいた荷物を回収しようと、コインを入れ、暗証番号を入れたのだが、ロッカーが全然開かない。
むむう困った、こりゃ大変だ。パスポートとか貴重品は持ち歩いているので、大きな被害はないものの、何せ初海外である。しかも一人である。心細いことこの上ない。しかも頼みの綱の「指さし会話帳」はロッカーの中だ。インチキ英語でマカオの人と渡り歩かねばならぬ。
5分頭を抱えた後、意を決してウロウロしていた警官を呼ぶ。そしてロッカーを指差し一言。

  • 「ディスロッカー 荷物出てこない」

出た、日本語・英語奇跡のチャンポン。しかし何故かこれで通じるのである。「カモン」と言われ事務所についていくとまごうことなきタケルンバ荷物。「案ずるより産むが易し」とはよく言ったもんです。

お客様に「火をおつけしてもよろしいですか?」

某保養所で働いていたときのこと。たまに海外からのお客様が来る。で、日本人の付添がいるときは気が楽なのだけれど、ご夫婦だけで来たときがやっかい。言葉の問題がある。しかしたまに来るそうしたお客様を、度胸とインチキ英語で微妙に接客をこなしていたため、何故か次第に「海外からのお客様はタケルンバ」みたいなことになり、非常に難儀した次第である。
とはいえ「こなしていた」と言っても実際のところはどうだか。実際、こんな塩梅だ。

  • 「山3つ向こう」と言おうとして「ワンマウンテン、ツーマウンテン、スリーマウンテン」→よくこれでわかったなあ
  • マッサージチェアー」を説明しようとして「ヘルス エレクトロニック チェアー」→健康電気椅子って
  • カツオのタタキの「タタキ」を「サシミ ファイアースタイル」→燃えてねえよ
  • タデ酢を指差され「What?」に対し「グラス ビネガー」→「草酢」だから間違っていねえ気もする
  • 鍋に火を付けようとして「ライト オン ザ ファイアー OK?」→パラパラか

英語は構文より気合です(勘違い)。

なんだかんだで塩ふって焼くのが一番うまい

一人暮らし歴が長いこともあり、料理がある程度できるせいか、料理ができない人が不思議でならん。何をどう考えるとそうなるのだという感じ。初期の「愛のエプロン」なんかでもそうだけども、料理ができない人の考えることは理解できん。実にステキだ。
大体、料理ができない人がすることって同じですね。

  • 複雑にする

料理って言うのは単純な計算だと思うわけです。例えばうまい肉をうまい塩で焼けばうまいに決まっているわけです。肉のうまみ+塩のうまみという足し算になるわけで。これが一番シンプルな考え方。
ついでに言うと「焼く」という作業は割り算。焼くことによって食材の水分は減るが、うまみはあまり減らない。その分、食材の中のうまみ率は大きくなるよねって話。100gのうち5gがうまみだったものが、焼くことで50gになる。で、うまみが減ってなければ、うまみ率は5%から10%に上がるねと。おまけに香ばしさという足し算もあるから、ただの食材のときよりうまくなるよねと。料理ってそういうものでは。
ところが料理ができない人ほど、それを複雑にするわけで。塩振って、焼いて終わりでいいのに煮込みはじめたりする。で、色々やったあげく、「これ、何の料理だっけ」みたいなことになる。普通でいいのよ、普通で。できねえのに無理すんなって。焼くだけ、煮るだけで十分。蒸しなんて10年早い。

  • 味見をしない

味見もしないでうまいかどうかの判断をどうするのかって話で。「塩加減」って言いますけど、味見をするから加減があるわけですよね。加えようか、減らそうかって。なので味見は全ての基本。
ところがですよ。世の中には何でもかんでも機械的に塩とか醤油を入れるヤツがおるのですよ。それがそういう味であるかを問わず、とにかくオートマティックで醤油イン。あるいは「味付けのサシスセソ」という字面通りに一通り入れるヤツ。ああ、そのままで十分うまいのに(涙)。
とはいえ、味見をしても味覚が残念ならば、それはそれでゲームオーバーですがね。あなたのうまいの基準はどうなってますか?

  • アドリブを加える

料理が下手なら下手でうまいヤツのやり方通りにすりゃいいわけですよ。レシピって便利なものが何故あるかって話で。確かに細かい部分に職人技はいりますよ。細かい塩加減なんかでのプロの見切りって素晴らしいもんですし、微調整のテクニックなんて芸術です。でも、素人はそこまでやる必要ないんですよ。レシピ通りで十分おいしい。完璧を求める必要ないんです。
ところが、それを何故かやりたがる。特に顕著なのは激辛方面。確かに辛いものはうまい。うまいが限度はある。「豆板醤を小さじ1杯」を「辛い調味料を入れればいいっしょ」と勝手に解釈して「タバスコを小瓶1杯」は曲解と言います。ハバネロに増強するのもナシです。「豆板醤」とあるときは「豆板醤」を入れてください。「小さじ」とあるんだから小さじで1杯です。大さじにしてはいけません。また1杯を「いっぱい」と解釈するのもダメです。
ほら、教習所でも言うじゃないですか。「だろう運転」はダメなんですよ。「かもしれない運転」がいいんです。「塩入れすぎたかもしれない」でいちいち確認するくらいでいいもんなんです。焼き過ぎたかもしれない、辛すぎるかもしれない、みたいな。「○○入れたらうまいだろう」というのは、素人の場合は大体失敗するもんです。
「勝手な解釈、事故のもと」これを胸に刻んで料理しませう。以上、料理下手の我が妹に捧げる料理教室でした。