(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

なんだかんだで塩ふって焼くのが一番うまい

一人暮らし歴が長いこともあり、料理がある程度できるせいか、料理ができない人が不思議でならん。何をどう考えるとそうなるのだという感じ。初期の「愛のエプロン」なんかでもそうだけども、料理ができない人の考えることは理解できん。実にステキだ。
大体、料理ができない人がすることって同じですね。

  • 複雑にする

料理って言うのは単純な計算だと思うわけです。例えばうまい肉をうまい塩で焼けばうまいに決まっているわけです。肉のうまみ+塩のうまみという足し算になるわけで。これが一番シンプルな考え方。
ついでに言うと「焼く」という作業は割り算。焼くことによって食材の水分は減るが、うまみはあまり減らない。その分、食材の中のうまみ率は大きくなるよねって話。100gのうち5gがうまみだったものが、焼くことで50gになる。で、うまみが減ってなければ、うまみ率は5%から10%に上がるねと。おまけに香ばしさという足し算もあるから、ただの食材のときよりうまくなるよねと。料理ってそういうものでは。
ところが料理ができない人ほど、それを複雑にするわけで。塩振って、焼いて終わりでいいのに煮込みはじめたりする。で、色々やったあげく、「これ、何の料理だっけ」みたいなことになる。普通でいいのよ、普通で。できねえのに無理すんなって。焼くだけ、煮るだけで十分。蒸しなんて10年早い。

  • 味見をしない

味見もしないでうまいかどうかの判断をどうするのかって話で。「塩加減」って言いますけど、味見をするから加減があるわけですよね。加えようか、減らそうかって。なので味見は全ての基本。
ところがですよ。世の中には何でもかんでも機械的に塩とか醤油を入れるヤツがおるのですよ。それがそういう味であるかを問わず、とにかくオートマティックで醤油イン。あるいは「味付けのサシスセソ」という字面通りに一通り入れるヤツ。ああ、そのままで十分うまいのに(涙)。
とはいえ、味見をしても味覚が残念ならば、それはそれでゲームオーバーですがね。あなたのうまいの基準はどうなってますか?

  • アドリブを加える

料理が下手なら下手でうまいヤツのやり方通りにすりゃいいわけですよ。レシピって便利なものが何故あるかって話で。確かに細かい部分に職人技はいりますよ。細かい塩加減なんかでのプロの見切りって素晴らしいもんですし、微調整のテクニックなんて芸術です。でも、素人はそこまでやる必要ないんですよ。レシピ通りで十分おいしい。完璧を求める必要ないんです。
ところが、それを何故かやりたがる。特に顕著なのは激辛方面。確かに辛いものはうまい。うまいが限度はある。「豆板醤を小さじ1杯」を「辛い調味料を入れればいいっしょ」と勝手に解釈して「タバスコを小瓶1杯」は曲解と言います。ハバネロに増強するのもナシです。「豆板醤」とあるときは「豆板醤」を入れてください。「小さじ」とあるんだから小さじで1杯です。大さじにしてはいけません。また1杯を「いっぱい」と解釈するのもダメです。
ほら、教習所でも言うじゃないですか。「だろう運転」はダメなんですよ。「かもしれない運転」がいいんです。「塩入れすぎたかもしれない」でいちいち確認するくらいでいいもんなんです。焼き過ぎたかもしれない、辛すぎるかもしれない、みたいな。「○○入れたらうまいだろう」というのは、素人の場合は大体失敗するもんです。
「勝手な解釈、事故のもと」これを胸に刻んで料理しませう。以上、料理下手の我が妹に捧げる料理教室でした。