(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

ジャンル分け文化

掲示板で見かけるのが「ジャンル紛争」。なんでしょうね、あれ。特に音楽板でよく見かける。

  • ○○はロックじゃねえ
  • メロコアとパンクはちげーよ
  • ジャズとクラシックを一緒にしないでくれる?

みたいな。結構こういうのでバーニングしてますよね。
で、オレなんかはこういうジャンル分けはどうでもええのですよ。めんどくせーし、ジャンルの違いもわからんし、細かく分ける意義もよくわからん。最近はジャンル分けが細かすぎてねえ。ようわからん。
ロックの中にパンクがあって、パンクの中にグランジとかあるわけだけど、じゃあ決定的な違いがあるかと言うと、実はない。方向性とか、強調する部分が違うだけでねえ。ザックリ言えば「うるせえのは全部ロック」だし、「ギター・ベース・ドラムがいればロック」じゃないすか。まして、違ったからといってどうなるわけでもないし。
それに細かいジャンル分けは、真ん中のものを難しくするわけですよ。例えばガーシュイン。クラシックなのか、ジャズなのかと。で、こんなのどうにでも解釈できるわけですよ。クラシックでもありジャズでもある。どの部分に着目するかでクラシックとなり、ジャズとなる。であるならば「んなもん、どっちでも」って話。
つまりこういうジャンル分けって、実質的な意味はねえんです。ロックだろうがパンクだろうが、クラシックだろうがジャズだろうが、なんだっていい。結局は音楽だしねえ。ジャンルを定義したところで、何の意味もないし、ジャンルから外れたところで、何の問題もない。それを熱心に議論しているわけで、真面目だなあと思ってしまうわけですよ。オレは特にいい加減な人間なんで。
エロビデオ屋なんかのジャンル分けも関心します。「ぶっかけ」「巨乳」「おふくろ」「騎乗位」「ナンパ」とか。わざわざ黒の見出し板を挟んで、きちんと分類してある。どんだけ分類好きなんだ、日本のエロビデオ屋
ま、でもこういうどうでもいいことが文化だと思うのね。

オレの解釈だと、文化とは「本質的には意味合いがないものに意味を持たせること」です。

不毛なことに価値を見出し、議論をするのは、それはそれで文化的ではあるなあと。そう思った次第。意外にエロビデオ屋の分類も文化的な行動なのかも知れん。「エロビデオ分類からはじまる図書館学」みたいなことになれば面白いのに。図書館もこのエロビデオ屋方式で書籍を並べる。ヒラリー・クリントンの本が「葉巻プレイ」の棚に並んだり、セルジオ越後の本が「SM」に集まる。松浪健四郎は「ぶっかけ」の棚で探すと吉。