(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

It's my business

気持ちはわかるし、建設的な議論を求めたいだろうけど、そもそも裁判所とか司法って、そういう場所じゃないような。

対案なき批判に意味はあるのか
対案なき判断には、やっぱり意味がないと思う。
誰だったか、「対案示せ」なんて要求するその態度こそがリベラルどもの欺瞞だなんて言ってた人がいたけれど、対案一つ示せない批判もらっても、議論が生まれない。議論生まないなら、ノイズと一緒。

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/26

これに対する反論はシンプル。

Not my business.(オレの仕事じゃねえ)

あくまで司法ってのはルールチェック部門なんだよね。そのやり方が正しいか。ルールにのっとっているか。それを行政や立法に対して行うと。そういう機関なんだよね。従って対案を出すというのは本来の機能にないし、求められている機能でもない。「オレの仕事じゃない」だし「それは他の人がやってくれ」でいいんじゃないかな。
それに対案を出すってことは、司法がするべきことを決めるってことなんですよ。「あれが悪いから、これにしなさい」と。つまり政治決定権を持つってこと。施策の善悪を決める。そういう基準を持つ。これはかえって権力の濫用。これを決めていいのは国会だけなんだよ。行政でもない。何故なら、国会の構成員のみが選挙で決められる。裁判員や官僚は選挙を経てない。ここに決定的な差がある。

Not your business.(オマエの仕事じゃねえ)

国会から裁判所を見ればこういう話にもなる。「決めるのはオレたちだ。オマエの指図は受けねえ」みたいな。こういうのがまかり通ると、司法の越権行為にもなりかねん。
三権分立のチェック&バランスって、こういう行き過ぎを防ぐための理念でもあるわけで。国会は国権の最高機関として物事を決めなさいと。但し、そのやり方があらかじめ決めてあるルール、即ち憲法に沿ってあるかどうかは裁判所がチェックします。違反するなら、ルールにあったやり方に直しなさいと。そういう役割分担。なので三権分立下では司法は対案を出さないんですよ。特に憲法が絡んだときはね。
で、実際今回の違憲判決でも、違憲であったという判断がある。ただそれだけ。それの改善方法は国会に任せられている。極端に言えば改善しなくてもいい。改善するにしても、自衛隊の派遣そのものをやめてもいいし、派遣活動の運用で対応してもいい。あるいは法律で対処してもいいし、おおもとの憲法改正に踏み込んでもいい。方法は任されている。そしてそれができるのは国会で、その国会の構成員を選ぶのは国民。つまり主権はやっぱり国民なんです。
司法はあくまでルールチェックをした。アウトと判断した。その先どうするかは国民の仕事。国民の「my business」。その代表者が国会議員。なので、司法は対案を出すべきじゃないし、出さないのが自然かなと。「この先どうするか」を決めるのは国民だからね。を「対案出してよ」って言われても「知らねえよ。自分で決めろよ」ってだけの話な気がするな。
カッチョ良く言うと「司法の無謬性」。司法は何も意味を持たない。ルールに合うか合わないかだけを決める。その意味合いを判断するのは国民。裁判所に司法に期待する前に、自分たちで考えるべきケース。だって、主権を持っているのは自分たちなんだからね。

It's my business.(それ、オレの仕事だべや)

こう考える方が建設的じゃないかなあ。