(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

新譜だけじゃなくナツメロもどうぞ

これ、もの凄く気持ちわかるなあ。

でもやっぱり「これはよく書けたけど、今、また読んで欲しいなあ」というのも存在するのですよね。

ブログにおける過去のエントリーの価値は? - 空気を読まない中杜カズサ

実はこういう気持ちがあるので、毎月のまとめ記事に「アクセスが少ないが気に入っている記事」というコーナーをつくってたりする。反響の多さと、書いた側の自信度は一致しないものなのでね。そこのバランスをとるために「もっと読んでよ」って宣伝したくなる気持ちがある。「こっちも面白いんだぜ!」「こっちも読んでよ!」と。
で、これはブログ主は自由にできる。関連する話題のときにリンクを貼れる。

過去のお気に入りのエントリーがあったら、それをアピールするというのも書き手としての手段ではないかと思うのですよね。

ブログにおける過去のエントリーの価値は? - 空気を読まない中杜カズサ

有効な手段だと思いますよ。見て欲しいなら、そのためにできることをすべきで。もちろんアピールしたから見てくれるってわけじゃないけど、アピールした方が見てくれる確率が高まるならそうすべきじゃないかな。その方が目的にかなうわけだし。
こういうものは辛抱強さもそうだし、やり続けることが大事だと思うわけですよ。例えばダチョウ倶楽部のネタに「聞いてないよぉー!」があるけど、あれは当初まったく受けなかったんだよね。注目されなかったネタ。でも彼らはそれをやり続けた。受けるまでやり続けた。その結果、流行語大賞の銀賞に選ばれるほどの流行語になった。「続ければ必ず流行るか」と言われたら「No」だけど、「続けなくても流行ったか」も「No」。やり続けたことで流行ったきっかけを得た。時を得るには、時を得るまで継続しないとダメなのよ。
どんなものでも見てもらえるまで、流行るまで、話題になるまで言い続けなければダメだし、書き続けなければダメだし、アピールし続けることが重要だと思う。途中で諦めて、やさぐれて、負け犬の如く遠吠えするんなら、近くで吠えてみろと思う。人がいるところに行けばいいと思う。遠吠えするのはその後でいいよ。いつでもできるんだからさ。
あと単純な話、過去記事への扉が多い方が有利。音楽でも、新譜をきっかけに過去の作品に光があたるってことがあるでしょ。ある曲が良かったから、他の曲を聞いてみよう的な。それまで無名だった人がヒットすると、過去の曲までまとめて売れる。
ブログでもそういうところがあると思うんだよね。アクセスが多い新記事が書けると、それに伴って過去記事のアクセスも増える。ある記事をきっかけに初めて見に来てくれた人は、他の記事も読もうとしてくれる。その場合に過去記事のリンクがあった方が有利だと思うわけ。ないよりはマシ。で、こういうチャンスはいつ来るかわからない。ならばこそアピールし続けることが大事だし、きちんと準備しとけと。そう思ってリンクをシコシコ貼っております。見てくれるといいなあと。
このあたりアーティストの願望と似かよってるな。新曲を聞いて欲しい。でも、昔の曲も聞いて欲しい。売れた曲以外にも、こういう曲を聞いて欲しいなっていう。曲を記事に置き換えればまるで一緒。
幸いなことにブログには廃盤がないので、いつでも曲を棚に置いておける。新譜もいいけど、たまにはナツメロをどうぞって言える。……ま、古い記事にはいろんなところが稚拙すぎて、自分でも赤面しちゃうんだけどね。萎える部分も多いんだけどさあ。

過去に書いたことはどうしても未熟なものが多々あるので、それを率先して見て欲しいとは思わないと。

ブログにおける過去のエントリーの価値は? - 空気を読まない中杜カズサ

でも、こういうところを含めて味。今は今、昔は昔。それが出るのも文章のいいところ。お時間があるときは是非過去記事をご覧下さい。しょうもないことばかり昔から書いてますんで。暇つぶしにどうぞ。