(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

その日の分を、そのときに

どうも、すっかりブログの更新が減っている者です(挨拶)。
いや、更新してないなー、とは思ってたんですよ。まあでもアレがナニで、もにょもにょがドキューンでしてな。まったく何も説明できてねえよ。
しかしあれだね、毎日続けていたものでも、止めるのは簡単だね。1日、2日のものなら再開するハードルは低いし、なんてことねえし、「やべ、更新しなきゃ」みたいな心理がどこかではたらくものなんだけど、それが3日、4日になると、そういう心理が薄れてしまうんだよなあ。不思議なことに。
更新し続けているときは、更新している状態こそが日常で、更新しない状態は非日常。なので更新していない状態を気持ち悪く感じる。非日常だから落ち着かない。生活を日常に戻したい。それが1日、2日の状態。
しかしそれが続いていくと、更新しない状態が日常になってしまう。日常が入れ替わってしまうんだな。何をベースにするかという価値観が。
途切れていた期間を含めて、かれこれ日記を20年近くつけているのだけど、日記のような日常性が高いものでも、1週間書くのを忘れると、また書き出すのが難しくなるね。20年近く書いてる自分でこれだから、通常は2、3日で嫌になる。「三日坊主」なる言葉は本当で、3日という区切りで日常が入れ替わってしまう。3日で坊主になるんだよ。どんなに髪の毛伸ばしても、3日何もしないと丸刈りになっちゃう。伸ばし慣れているから、再開する素養はあるんだけどね。
結局こういう習慣を身につけるには、日常の固定化と、その日常を忘れつつあるときに思い返すきっかけづくりなんだろうな。まずは毎日書くということに慣れる。体でペースをつかむ。しかし人間だからそれが続かないときもある。そういうときに、心理的な反発なく、元通りになれるきっかけをセットしておく。そーっと戻れるように、どこかにスイッチがあるといい。
例えば、毎日何かの写真を撮るとか。ある同じ風景を見るとか。そうすると「写真でもうpしようか」みたいな心理がはたらくかもしれないし、同じ風景を見るという習慣付けから、ブログや日記を書くという別の習慣を思い出すかもしれない。「そういや、書くの忘れてたな」と。
そしてこういうのはなるべく簡単な方がいい。習慣が途絶えたときに再開するのが難しいのは、途絶えた分のを取り戻そうとするからでもある。「久しぶりだから、しっかり書かなきゃ」とか、「途絶えていた時のこと書かなきゃ」とか。まあそういう気持ちはわかるんだけど、日々のことすら書けない状態になっているのに、過去のをさかのぼって書こうとするのは、なかなかにハードルが高いわけでして。そういうのが億劫になる原因だと思うよ。
なので、毎日やっていたときと同じように再開するのがいい。それまでと同じように。別に日記であれば、空白の時期があってもいいと思うし。空白という記録は残るわけだしさ。「あ、この時期は日記書くのやめてたんだ」と振り返れる意義はあるわけだし。空白が残ることは恐れなくてもいいと思う。ありのままに記録を残すってのはアリだ。
続けたい習慣こそ、その日の分だけやればいい。先の日の分までやる必要はないし、さかのぼってやる必要もない。夏休みの宿題でありがちな、「絵日記の天気」じゃねえんだし。「やべ、天気書いてねえ。この日、晴れだっけ? 雨だっけ?」みたいなのは必要ないんだよ。宿題じゃないから。自分のためにやるものなんだから。
簡単にシンプルに。その日の分を、そのときに。