(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

情報の価値は受け手に丸投げ

「それって需要があるんですか?」
ブログで書く内容をアドバイスしたときに、よく言われること。

  • 「読む人います?」
  • 「読みたい人いますかねえ」
  • 「そんなんでいいんですか?」

このあたりのことはよく言われる。でもねえ、そんなこと考えてもしょうがないと思うんだよね。実際、聞かれた俺もわからんよ。需要の有無とか、読む人がいるかどうかとか、読みたいかとか、そんなんでいいかとか。俺もよくわからないし、わかってない。
でもわからなくてもいいと思うんだ。特に最近は。情報化社会になってきた今こそ、そういうことに発信側は気をつかわなくていいと思うんだ。
情報化社会のメリットって、受け取る側のものばっかり注目されるけど、実は出し手の方にもいろいろあると思うわけ。で、そのなかのひとつが「情報を厳選する必要がない」だと思うんだ。出し手が情報を選別する必要性があまりない。受け手が勝手に選別してくれる。必要な情報を探し出し、見つけてくれる。
もちろんそこに探し出す手間があって、「より見つけやすい」状況にする必要はあるんだけど、しかし検索その他で見つけ出す手間は昔より下がっている。紙をパラパラ見ていく時代と比べれば、検索一発でなんとかなる現代のコストはわずか。まして他人は山ほどいるわけで、自分ひとりと数が比べ物にならん。必要な情報であればあるほど、誰かしらそれは見つけるであろうし、誰かしら役立てるだろうし、より目立つところに格納されていくはず。集合知っていいねえ。
そういう受け手の手間に、情報の出し手は依存してもいい。それが情報化社会のメリットだと思うんだ。「その情報が必要であるか」を情報の出し手は考えなくてもいい。その情報の必要性は受け手が判断してくれる。情報の出し手は、情報の受け手が視認できる場所にその情報を出しておけば十分で、その記事を価値判断までする必要がないんだ。ブログ記事であれば、それをうpすればよし。あとは勝手にみんな判断してくれるよ。読まれるべきものであれば読まれるし、その必要性がある人に、その記事はきっと届くはず。
初心者向けのものは初心者が読むだろうし、上級者向けのものは上級者が読む。逆に上級者は初心者向けの記事を読み飛ばすだろうし、初心者は上級者の記事を見ても、そっとページを閉じるはず。それぞれがそれぞれの必要性に応じて情報を取捨選択する。各読み手がそういうふうにするんだから、書き手は気にしなくていいんだよ。「とりあえずうp」でおk。
自分が抱えている情報は、誰が必要としているかなんてわからんものね。現実のヒット作だって、そういう認識のギャップから生まれているわけだし。「大したことのない話だと思っていたら、世間は意外と必要にしていた!」ってパターンばっかりじゃん。
情報の価値判断は受け手に丸投げでいいんじゃない?